前回、掲載しようと思っていて忘れた写真。『文藝年鑑2012』、新潮社。ここにラテンアメリカ文学の2011年を振り返っている。
Facebook上である学生が、中畑、篠塚、原の写真入りのジャイアンツのウチワの写真を掲載し、このころにはもうピースサインがあったのだ、と驚いていたので、よせばいいのに、教師根性からコメント。何を言っているのだ、Vなど、連合国軍の兵士がしていたサインだ、と示唆。だいぶ驚いていた。
連合国側が勝利のVを指で作って突き出していた映像なら、いくつも残っていると思う。たぶん(うろ覚え)。カルペンティエールは『春の祭典』でVが氾濫していたことを書き残している。このVサインが、ヴェトナムのころには平和のピースサインになる。68年ころを扱った『ノルウェイの森』では、みどりが主人公に向かって、「ピース」と言いながらVサインを作るシーンがあった。このころからピースは定着していくはずだ。
学生へのコメントで80年代にはみんながピースサインを作っていた、と書いた後できになって、80年代半ばの写真を見直してみた。みんな、というほどではなかった。平均すれば半数ほどがピースを作っている、というところだろうか?
つらつらと思い出すに、プリクラなどが出てきたころ、女の子たちが両手を広げるポーズをやたら作っていたのではなかったか? そのほうが顔が小さく見えるというのだ。その勢いに圧されて、確かに一時期、カメラに向かってピース、は少なくなっていたように思う。それがいつからか、また形勢逆転、今では両手を広げるポーズなど見ることもない。代わりにかつてよりもはるかに高い確率で、皆がピースを作っている。
気になるのだ。気になってきたのだ。両手を広げるポーズ、これが消えたのはいつだ? どのように消えていったのだ? このポーズのはかない隆盛は、ぼくが今書いたように、プリクラの普及に対応するのか?
おそらく、くだんのFacebookの学生は、この両手を広げるポーズからの形勢逆転でピースが席巻するようになった時代にこのポーズを内面化していった世代なのだろうな……と思っていたら、その人物からのさらなるコメントが。彼女が中学生くらいのときに両手を広げるポーズは消えていったのだそうだ。
消えたポーズが気になる。今度写真を撮るときにやってみよう。脇を締めるようにして腕を前に突き出し、手のひらを広げる、あのポーズ。