2011年9月27日火曜日

見えないけど見える

試写会に呼んでいただき、拝見した。ダニエル・ブスタマンテ『瞳は静かに』(アルゼンチン、2009)
1976年に始まるアルゼンチン軍政時代、多くの反対派を弾圧した時代だ。この時代のこの人権弾圧が背景になっている。舞台は地方都市サンタフェ。離婚した母と兄と三人で住んでいたアンドレス(コンラッド・バレンスエラ)が、母ノラ(セリーナ・フォント)の死によって、大好きなおばあちゃんオルガ(ノルマ・アレアンドロ)の家に移り住むことになった。父親のラウル(ファビオ・アステ)が売却のためにノラの家を整理していると、反体制運動に参加していた証拠となるような書類が出てくる。どうやら彼女はアルフレド(エセキエル・ディアス)と関係を持ち、彼に引き込まれて運動に手を染めるようになったらしい。大人たちの会話などから、アンドレスは少しずつ母親の死の真相を理解していく、……という話。

ただし、これは軍政における人権弾圧のことを扱った話ではない。恐るべき子供(アンファン・テリブル)の話でもある、というところがこの映画の面白いところだ。

フレーミングがいい。子供の視点を表現するために、見えるものと見えないものをはっきりと作り出してさまざまな効果を上げている。学校の先生が、子供に説教するのに背中しか見せないシーンなどは、滑稽でもあり恐ろしくもある。最後のシークエンスで脚しか見えない二人の大人(たぶん、ひとりは警官のセバスティアン〔マルセロ・メリンゴ〕)が、地べたに座ってゲームに興じるアンドレスに「おばあちゃんはどうしている?」と訊ねるのも恐怖だ。

この限られた視界の中で、登場人物たちの視線が多くを伝えていて、印象深い。アルフレドが葬式に現れた瞬間、大人たちの視線と態度だけで、人間関係の複雑さが示唆される。「空気が変わる」などと言うが、本当に空気が変わる瞬間が見えるようだ。こうした作りが実にうまい。

限定され、見えないことも多い子供の視界だけれども、その中に子供たちは見えないはずの空気の変化を見て取ったりするものだ。そんなことを思い出させてくれる。秋になって伸びた髪を撫でつけると、女の子にも見える中性的な8歳の少年アンドレスの視線が、最後、実に怖くて怪しい。

秋、冬、春、夏の4つの章からなるこの映画。もうひとつ確認しておかなければならない前提は、夏とはクリスマスであり正月であるということだ。アルゼンチンは南半球にあるのだよ。