2011年9月16日金曜日

民営化を巡る劇は日本にもあったっけか?

今日もラテンビート映画祭。イシアル・ボリャイン『雨さえも:ボリビアの熱い1日』(スペイン、フランス、メキシコ、2010)

特にアレハンドロ・ゴンサレス=イニャリトゥに感謝を、というクレジットがエンドロールに入っていた。どういうことだろう?

2000年4月にボリビアで起こった水戦争。つまり水道の民営化によって水が断たれてしまった先住民たちの抗議行動とそれへの軍による弾圧などの騒動を描いたもの。といってもそれを正面から扱うのではない。スペイン・メキシコのチームによる映画クルーがボリビアにコロンブスのアメリカ到着とバルトロメ・デ・ラス・カサスらの聖職者の活動を題材にした映画を撮るためにやって来る。ケチュアの先住民をタイノのそれと扮装させて、安上がりに撮ろうという腹づもりだ。エキストラに必要な先住民たちのオーディションから映画は始まる。

中にひとり反抗的だけれどもとてもいい目をした人物ダニエル(フワン・カルロス・アドゥビリ)がいて、プロデューサーのコスタ(ルイス・トサール)は渋るけれども、監督のセバスティアン(ガエル・ガルシア=ベルナル)は気に入って登用する。この彼が水の権利を求めての抗議行動でも中心に立つからややこしくなる。タイトルの『雨さえも』は雨さえも利権の対象として先住民の自由にさせないとの、ダニエルの抗議の言葉から取ったもの。

ゴヤ賞ではコロンブスを演じる俳優を演じたカラ・エレハルデが助演男優賞を獲ったとか。確かに彼がいい。読み合わせからすっかり役に入り込み、しかし、映画と現実とを混同してラス・カサス役の俳優(カルロス・サントス)に食ってかかったりする。撮影中の映画と現実が混同され、先住民たちの苦難の始まりの時代と、その結果としての現在の彼らの態度が平行関係を描く。巧みな脚本だ。

この現実とフィクションの混同を倍加しているのが、メーキングを撮っているドキュメンタリー作家マリア(カサンドラ・シアンゲロッティ〔チャンゲロッティ?〕)の存在。気になるところだ。名前のない女優役でナイワ・ニムリが出ていたらしいのだが、気づかなかったな。また、カサンドラ・シアンゲロッティはカルロス・ボラードの『トラテロルコ』(2010)という映画に出ているらしい。この映画、ぜひ見たい!

新自由主義経済政策の浸透による公共事業の民営化が引き起こす問題。『今夜、列車は走る』がアルゼンチンの国鉄の民営化を扱ったものだった。デイヴィッド・ヘアーは『パーマネント・ウェイ』というイギリス国鉄民営化の劇を書いている。こういう問題を扱ったもの、日本にもあったっけかな? 電電公社がNTTになったことによるドラマ、国鉄がJRになった悲劇、専売公社がJTになったサスペンス……?

明日は何だか人前で話さなきゃいけないのだけど、映画なんかみてて大丈夫か? そんなことより、掌蹠膿疱症による手のささくれとかゆみと痛みが激しく、仕事をする気にもなれない……ま、言い訳だ。ということになるのだろう。ぼくとしては切実なのだが。