わざとらしくこんな画像を載せてみる。
前の週の日曜に兄が死に、母が上京し、金曜に通夜、土曜に葬儀があった。
ここでは書くことがはばかられる宗教問題や、書くと長くなるので省く人間関係もあり、人の死は残された者の心痛の種でもあるのだ。いろいろあって、母を送って一泊で地元に帰ることになった。日曜日に行って、月曜日に戻った。
空港の待合室での収穫。
文(かざり)潮光(英吉)『奄美大島民謠大觀 復刻版』(南島文化研究社、1933/文秀人、1983)。
これに復刻版があるとは知らなかった。しかも復刻自体がかなり前のことで、それでもまだ空港の売店で買えるなんて! 僕はかつてこれの原版を都立図書館の目録に見つけてそれを参照した。以前発表した短篇小説「儀志直始末記」(『たべるのがおそい』Vol.7)の主要な発想源のひとつだ。
次は、みき。
神酒ではない。どのような言葉の由来かは知らない。米とサツマイモのデンプンとでつくる飲み物で、そういえばオルチャタみたいなものだ。もう少しドロドロした飲み物。これが意外と好き。
これはふねやき。「ケンムンのおやつ」だと(『奄美大島民謡大観』風に言えば、ふねは「船」のように発音されては困る。「ケンムン」のケはけでもないしきでもない。ンにいたっては存在すら疑われる。「ばけもの」では断じてない。「日本文字にはない發音である」〔13ページ〕)。黒糖の菓子なのだが、僕が認識しているふねやきよりははるかにパウンドケーキ風である。芭蕉(ばしゃ)……つまりモンキーバナナの葉が敷いてあって、歯触りを除けば、つまり風味と味は、なるほど、ふねやきだ。焼きたてですと言われて買ったのだ。うまい。
この菓子に敷かれた芭蕉の木(個体としては別物)。子どものころはこれに立派な実がなった。
廃墟風の我が家。上の芭蕉の木が向こうに見える。