パブロ・ラライン『エマ、愛の罠』(チリ、2019)
相変わらず悪意の冴えるパブロ・ラライン。彼に敬意を表して、僕も悪意を込めて、いわゆる「ネタバレ」(すれすれ)で書く。というか、そうしないことにはこの悪意は伝わらない。
物語の筋は、このエントリーのタイトル通りのものだと思った方がいい。ポロというコロンビア移民の子どもを養子に迎えたエマ(マリアーナ・デイ・ジローラモ)とガストン(ガエル・ガルシア・ベルナル)の夫婦は、しかし、ポロが放火事件を起こし、エマの姉が火傷を負ったことを機に施設に戻され、どうやら他の夫婦に新たに養子に出されたらしい。性病が元で不能になったガストンと12歳も年下のエマのやりとりは愛憎半ばし、まるでその種の心理劇かと錯覚させる。
一方で、ガストンはバイセクシュアルを匂わせるし、エマは実際、消防士のアニバル(サンティアゴ・カブレラ)とも、離婚訴訟のために相談に行った弁護士のラケル(パオラ・ジャンニーニ)とも、そしてレゲトン・ダンサー仲間の女性たちとも関係を持っている。レゲトンのリズムと奔放な(というより双方向に開かれた)性。これも映画が観客をミスリードするひとつの要素だ。トレイラーなどは明らかにそれを全面に押し出している。
夫婦は憎しみ合い、罵り合い、でもときに惚れ直し合いながらポロをどう扱えばよかったのかと話している。が、肝心のポロは出てこないのだ(本当は出てくるのだけど、それがそれとして知らされない)。そして、実はエマの行動はポロ(クリスティアン・スワレス)と再び巡り会うために計算されたものだったのだということが最後近くになって明かされる。
素晴らしいのは、それからラストまでのわずか5分ほどのシークエンスだ。再び巡り会ったポロをどう扱うのか。ガストンと同じツーブロックの髪(最近、どこかの高校で禁止になったとして話題になった髪型)にする。その後のことは、さすがに書かないでおこう。ここにララインの悪意の多くが詰まっている。そしてその悪意はコロンビア人の子を養子にしたメキシコ人演出家とイタリア系(といっても、この場合は演じる女優のことだが)チリ人ダンサー兼ダンス教師の夫婦が取り得る、現在では最善の、間文化的な家族とコミュニティのあり方を示唆しているのだから痛快だ。妻の踊るレゲトン(ヒップホップとメレンゲなどのミックス)を蔑むガストンと、妻がいるから他の女と関係は持てないと尻込みするアニバルの複雑な表情が、その悪意にして善意であるものを受け入れられないでいる者の心を代弁している。
ガエルがララインと組むのは3度目だが監督はこの国際的な人気者の優男/男優を困らせた表情にすることに長けている。『ジャッキー』でナタリー・ポートマンを美しくなく(醜いとまでは言えない)撮った人らしい。
マグネシウムの粒が洗濯洗剤+芳香剤代わりにいいらしいというので、買ってみたぞ。