2014年8月4日月曜日

見えないものは怖い

7月31日から8月1日にかけては研究室の合宿に行ってきた。その後ばたばたあったので、報告できずじまい。代わりに(ではないか?):


を見てきた。これのトレイラーが、ゴジラの正体を見せずにゴジラの恐怖を伝えるというもので、とても面白そうだったので、これは是非、と思ったわけだ。本編でもゴジラ(とその敵となる新怪獣ムートー)はなかなか姿を見せない。見せたと思ったら、車の中から、テレビの画面の向こうに、等々、もどかしいしかたでしか見えない、といった視点の切り替えがある。比較的視界が広く確保できるときでも、怪獣たちがビルの影に隠れたり、上空に飛んでいったり、海に潜ったりするから、もどかしくてしかたない。それがすごくいいのだ。恐怖はいや増す。

ぼくはあまり映画(や小説)に比喩的な意味を読み取るのは好きではない。ゴジラが水爆からできたという設定なのは誰もが知る前提であって、そのことにそれ以上の意味を見出したくはない。が、この映画はそんなぼくの矜恃などあざ笑うかのように、あからさまに3.11以後を強く意識させる設定だ。

日本のジャンジラという架空の地のスリーマイル式のような溶鉱炉を持つ原発が倒壊。そこは退避地域とされるが、その事故で妻(ジュリエット・ビノシュ)を失った科学者ジョー(ブライアン・クランストン)は、15年もその事故原因を探り、実はもう放射線は漏れていないその地域がモナーク計画という国を超えた秘密のプロジェクトに利用されていることを突き止める。モナーク計画で指揮を執る科学者が芹沢猪四郎(渡辺謙)。実はゴジラではなく、原発から栄養を摂る新怪獣ムートーの研究をしているのだった。

このジャンジラの設定とか、ゴジラが最初に現れるときに起こす大波(津波だ、これは)とか、この想像力は明らかに福島第一以後のものだ。これをこのタイミングでハリウッドが作った(ハリウッドだからこそ作りえた)ことに、ぼくらは嫉妬し、怒り、悲しまなければならないのだろうな。

でもまあ、そんなことを考えなくても、繰り返すが、視界を制限して迫り来る怪獣たちの恐怖を表現する見せ方は、ともかく面白いのだな。


(写真はイメージ)