いや、そんなことを書きたかったのではなかった。イェールの文学理論の授業とか、肋間神経痛の話など、するつもりではなかったのだ(ゴンサレス=エチェバリーアの講義の話ならしてもよかった)。
iTunes U の「アルファンソ・レイェス講座」の一覧に9日、見出したのだ、フェリーペ・ガリード、リリアーナ・ワインベルグ、アルベルト・エンリケス=ペレーアによる「2月9日の祈り」についてのトークショウを。
エンリケス=ペレーアはその前日に読んでいた(紹介した)レイェスの『日記』第4巻の編者だ。
レイェスの父ベルナルド・レイェスはポルフィリオ・ディアス時代の代表的な軍人にして政治家。ディアスの後継者と見なされていた人だ。ヌエボ・レオン州の州知事をしていたので、レイェスはそこで生まれることになる。メキシコ革命というのは、ディアスの三選を阻止しようとする勢力が武力蜂起したところからはじまるわけだが、ベルナルドを大統領にと推す人も多かったようだ。が、マデーロが大統領となり、反対勢力に回り、殺されてしまった。1913年2月9のことだ。
息子アルフォンソはそのことをたいそう気に病み、なかば自主亡命のようにして外交官としての辞令を受け入れ、ヨーロッパに向かった。17年経った1930年、アルゼンチンにいて、ブラジル大使として転任する直前くらいに書いたのが「2月9日の祈り」。実際には、これを死ぬまで公表せず、1963年に死後出版された作品。
何しろそんな内容の本なので、トークの参加者がそれぞれの父との思い出もしくは父への思いなども吐露しながら、たとえばワインベルグはボルヘスがそうしたように、軍人でもあり文人でもある父とレイェスとの対話という性格を強調したりしていた。
エンリケス=ペレーアが、自分は3歳のときに父を亡くした、と自身のことを語り始めたときに、ぼくはふと思ったのだ。ぼくは生まれる前に父を亡くした。このことへの思いなども、ぼくがレイェスに惹かれることになにがしか関係しているのだろうか? 父が失踪したカルペンティエールに魅力を感じるのはだからなのか? 「私にはフロイトのいわゆる超自我がない」と豪語したサルトルの言葉を覚えているのはだからなのだろうか?
と思っていたら、さきほどリンクを貼ったイェールの授業でゴンサレス=エチェバリーアが言っていた。ドン・キホーテには家族がいない。50も過ぎた大の男だ、家族なんて何だっていうんだ? 彼は彼だ、等々……
さて、そしてこのトークショウを見終えてから、ふと気づいた。昨日は奇しくも1913年2月9日、つまりベルナルド・レイェスの死から100周年の日だったのだ。
祈る。名前を挙げることは祈りの原初の形だ、と言ったのは当のレイェスだ。レイェスの名を挙げ、祈る。