2012年3月12日月曜日

田舎へいらっしゃい

で、『澄みわたる大地』には、もう1箇所印象的な箇所があったな、と思ったら、すぐ近くにあった。ロブレスの妻ノルマ・ララゴイティ(スペイン語圏の大半の国の場合、夫婦別姓だ)にその昔、恋をしていた文学青年がロドリゴ・ボラ。その彼が文学にいわば幻滅する瞬間。詩集を出版し、希望を抱き、詩の仲間たちとあつく文学を語っていたロドリゴが、ある日、「そこそこ名のある南米詩人フラピオ・ミロスがメキシコに着いたばかりだったから」(154)、仲間たちで彼を招くことにした。さんざん準備して盛装して待ったけれども、だいぶ遅れて訪ねてきたこの詩人、開口一番、言うのだ。

「おう、兄チャンたち、いいケツしてんな!」よく覚えているけど、この最初の言葉で一同の礼儀正しい知的振舞いはガラスのように脆くも崩れ去ったよ。奴は挨拶もなしにワインのボトルを取り上げると、床の上にごろんと寝転んだ。ラデイラは笑顔をひきつらせ、メディアナは真っ青になっていた(155)

どういうわけかぼくはこれを読んだとき、1936年のパリでの「文化の擁護」国際作家会議におけるポリス・パステルナークの言葉を思い出した。おそらく、その前後に『セーヌ左岸』を読んでいたからだろう。パステルナークは作家たちの政治談義盛んな会場で、「政治なんてつまらないですよ。田舎にいらっしゃい、詩を詠みましょう」というような趣旨のことを発言した。

方向性は逆だけれども(詩に幻滅させるか、詩を称えて政治に幻滅させるか)、ひと言にして一座の空気をぶち壊しにする詩人の言葉の爆弾。そんなものを感じたのだろうか。