ミラン・クンデラ『出会い』西永良成訳(河出書房新社、2012)
柄谷行人『政治と思想 1960-2011』(平凡社ライブラリー、2012)
柄谷行人を丹念に追わなくなってからもうずいぶん経っているので、この本の第一部が『柄谷行人 政治を語る』(図書新聞、2009)として出たときにも、それは買わなかったし、読んでいなかった。最近の『週間読書人』でのインタビューに平凡社ライブラリーに収録するにあたって行われた平凡社の方によるインタビューまで加えて出したのが、『政治と思想 1960-2011』。
さて、そんなわけで、第一部の小嵐九八郎によるインタビューもはじめて読むもの。で、出だしの数ページ読んで、相変わらずの切れに唸ってしまった次第。
まず、世代論を嫌うとしながらも、敢えて言うならば「安保世代」(60年の世代)である自分は「全共闘世代」(68年の世代)とは、わずかなずれながら、ぜんぜん違うのだと柄谷は主張する。68年の動きの方が全世界的な同時性を持っていたので、「全共闘世代」という語彙も残っているのだと。しかし、世界的な68年は、むしろ、日本の60年に似ていたのだとして、その構造的類似の根拠を共産党との関係に求める。この展開が冴えてるなあ、と思わせるのだ。
たとえば、ヨーロッパ、とくにフランスの場合、左翼の学生・知識人の間で共産党の権威が失墜したのが一九六八年です。だから、画期的なものとみなされる。しかし、日本では、それが一九六〇年に起こった。六八年の時点では、共産党の権威はまったくなくなっていました。また、六八年の時点では、新左翼の運動はほとんど学生に限られていて、労働運動や農民の運動はすでに衰退していたと思います。フランスの五月革命の場合、そうではなかった。新左翼や学生の運動は、労働組合や共産党と並ぶかたちで存在していた。その意味では、むしろ、日本の「六〇年」に似ていたのです。もちろん、七〇年以降には、ヨーロッパの新左翼運動も日本と同じようなかたちになっていったのですが。(18-19ページ)
うむ。
世界同時多発的でありながら差異をはらんでいた68年、最近、メキシコの場合のことを少しだけ触れた文章を書いたのだけど、共産党との関係を考えたことはなかったな。制度的革命党一党独裁みたいな国だったから、ということもあるが。
ところで、一方、日本の共産党の権威の失墜というのも面白い問題。戦後すぐのころには、日本から切り離されてしまった琉球の問題をめぐって、中央共産党とは無関係に琉球で独自の共産党が生まれたりしている。すでに危なっかしい存在だったのか? ぼくの母のいとこにあたる人が長いこと共産党から出て名瀬市議をつとめた人物だったのだが、その彼が何かそれに関することを書いていたような気が……
明日は後期日程入試。去年は前日、つまりちょうど1年前の今日の震災で取りやめになった入試だ。2学部体制で、ぼくが属することになる言語文化学部はもう後期日程入試をやらないのだが、手伝いはしなければならないみたいだ。やれやれ。