2018年11月11日日曜日

500ポンドと自分だけの部屋


ヴィム・ヴェンダース監督『ローマ法王フランシスコ』(スイス、ヴァチカン市国、伊、独、仏、2018@今日もラテンビート映画祭。

ヴァチカンからの委託で作られた映画らしい。ヴェンダースが行ったフランシスコ教皇へのインタヴューに様々な場面のフッテージをつなぎ合わせたドキュメンタリー。が、現教皇をアッシジの聖フランシスコにたとえ、アッシジのフランシスコの活動を再現ドラマのように挿入しているので、フィクション、みたいなものだ。

教皇がアッシジの聖人にたとえられるのは、名前が同じだからのみではない。清貧を旨とする点においても同様だ。そして現在のフランシスコは、貧困問題を現代社会の問題の中心に捉えてもいる。『回勅 ラウダート・シー』などの態度表明が話題になった。数々の演説などの映像と、聖書のみならずトマス・モアやドストエフスキーまでも引用してのインタヴューとが彼の思想のエッセンスを伝える。

貧困は大問題だ。貧富の格差を拡大するシステムへの反動というか、反省、そうしたシステムの修正が急務の課題となっている。それは政治の問題であり(残念ながら日本では絶望的だが)、経済主体の問題であり、同時に精神の問題でもあるのだろう。精神の局面で貧困を問題化する教皇は、いわば時代の要請に応える存在なのだ。共通善(と字幕では訳されていたが、教皇自身はun bien mayor とも言っていた。より大きなひとつの善)を合い言葉にグローバル社会を見直す新しいコモンズ主義者たちとの親和性が高い。たとえば、ステファーノ・バルトリーニ『幸せのマニフェスト』中野佳裕訳(コモンズ、2018らが政治経済的視点から新しいコモンズを提唱している。フランシスコの言動にこうした系譜の発露をヴェンダースは見いだしているのだろう。LOHASの概念やいわゆるミニマリストの風潮もこの時代の産物だ。「500ポンドの収入と鍵のかかる自分だけの部屋」という、フェミニズムの文脈で語られがちなヴァージニア・ウルフの作家になるための条件に、たとえば、安心できる公共のスペースの確保というのを加えた条件を、人は目指しているのかもしれない。目指すべきなのかもしれない。だからそこに満足しているような教皇(やホセ・ムヒーカといった人々)が人気を博すのかも。