坂手洋二作・演出『天使も嘘をつく』燐光群@座・高円寺
燐光群での客演が3度目となる竹下景子が馬淵英里何を従えて出てきて両手を広げた瞬間、僕の頭にふたつのことが去来した。
1) 竹下景子が20代デビュー直後でアイドル的な人気の頂点にあったころ、女性雑誌だか化粧品会社だかが実施したアンケートで理想のプロポーションとされた数値に一番近かったのが山口百恵と竹下景子だったというのが、彼女自身が出演していたクイズ番組(クイズ・ダービー)で出されたことがあった気がする。
で、その数値は今どきの20代女性と比べれば小柄な方だとは思うが、それにしても竹下景子はまるで20代のころのようにほっそりとしたままだ、と驚いたのだ。松坂○○だとこうはいかないな、などと……
と、同時に、当時の理想の数値の割には脚が長いな、などと変なことまで考えた。
2) で、アイドル的な人気のあった竹下景子だが、20代の彼女が一番よかったのは『青春の門』ではなく、やはり『ブルー・クリスマス』だよな、とも。
『ブルー・クリスマス』を思いだしのは、雪が降っていたからだろうか? 雪→ホワイト・クリスマス→ブルー・クリスマス……
そんなことを考えていたら、大西孝洋演じる映画館主タイラがシナリオの雑誌などにはわけあって映画化に至らなかったシナリオが掲載されることがあり、それがもとで映画化が叶った例もある。大島渚の『少年』とか倉本聰の『ブルー・クリスマス』とか、と言った。
坂手洋二はこの『ブルー・クリスマス』→竹下景子のラインを評価している人物だと思う。何しろ竹下景子演じる映画監督クリモトヒロコは「冷戦期アメリカB級映画における田舎町の恐怖」(うろ覚え)というテーマが専門(『遊星からの物体X』、『ボディ・スナッチャー』、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』など。「ロメロ監督は絶対です!」という台詞があった。同じくうろ覚え)で本当は劇映画を撮りたいと思っていたけれどもドキュメンタリーを撮ることになった人物という役柄だ。
そのヒロコがかつて撮ったある島のメガソーラー発電所をについてのドキュメンタリー映画を、同様のメガソーラーの計画が進行中の沖縄のある架空の島で上映し、ついでのそのあたりでの映画のプランも練ろうとしていたのだが、実はメガソーラー計画をカモフラージュにして自衛隊基地を作ろうとしているのじゃないかとの疑惑が浮上する。メガソーラー反対派の市民は基地反対の活動をするために、ヒロコの幻の映画『天使も噓をつく』の製作を実行する委員会という姿をカムフラージュにして基地反対運動を展開するという内容。やがて計画がレーザー基地建設という具体性を見せてくる……
サブプロットは馬淵英里何演じる反対派のサユリの離婚と、元夫に親権を取られてしまった娘との関係、そしてまた彼女がヒロコの幻の映画に主演する予定だった女優(そして上映されたドキュメンタリーのプレゼンター役)マナ(故人)によく似ているという話。
もちろん、高江のヘリパットなど現実の沖縄の問題の隠喩に違いない劇だが、社会問題と映画製作を絡めるという設定においてイシアル・ボジャインの『雨さえも』などをも思い出させる。
また、市長の川中健次郎を檻の中に入れ、他の出演者が鉄格子状のパネルを前に置いたりかざしたり回したりしつつ防衛省の野望とその植民地主義的態度を批判する言辞を連ねていくシーンがあるのだが、演出家が日ごろ行っているような政治批判を、こうして舞台に乗せて台詞としてしゃべらせるだけで劇は成立するのだという格好の例だ。僕が外語時代にある企画のために坂手さんにコンタクトを取った頃、ちょうど彼の演出で燐光群が演じていたデイヴィッド・ヘアーの『ザ・パワー・オブ・イエス』について彼が言っていたことを思い出した。調べたことを舞台に上げるだけでいいのだ、と。
それにしても、いや、ほんと、竹下景子は最後も手を広げて舞台に仁王立ちになるのだが、僕は自分の腹が恥ずかしくなったな。最初、風邪気味なのか少し声が元気がないなと思ったのだが、そのうちに調子が出てきて、よかったよかった。