ウンベルト・エーコ『ヌメロ・ゼロ』中山エツコ訳(河出書房新社、2016)
エーコの遺作で、彼の死のニュースが流れたころにはもう予告が打たれていたように記憶する。
舞台は1992年、まだ携帯電話も存在しない(少なくとも普及していない)時代のミラノ。ある有力者の肝いりで作られる日刊紙『ドマーニ』のパイロット版(ヌメロ・ゼロ)作成チームのチーフ、シメイに、その様子を後に本にするためのゴーストライターになってほしいと頼まれた語り手兼主人公のコロンナが、仮の編集部の校閲デスクとして参加する。パイロット版はあくまでも事件をリアルタイムで取り扱う必要がないのだからと、ちょっと前の事件などを基に記事を作って紙面を構成、12号まで発行しようとしているのだが、1992年のイタリアではいろいろな政治スキャンダルが起こったようで、それら現実のスキャンダルについて、メディアがどう見せるかという談義をしながらのメディア批判になっている小説。
記者のひとりブラッガドーチョが、ムッソリーニが生きていて、1970年、彼を頭目にしてクーデタがもう少しで起きそうだったが、その瞬間に彼は死んだのだとの情報を得てコロンナに話す。このクーデタ未遂事件に関する情報がもとになって小説後半ではスピーディーに話が展開する。「ネタバレ」なんてものを嫌がる人には話さない方がいいだろうから、どんな展開かは書かないでおく。エーコの小説ではいちばん短いものだと思うけれども、現実の92年のイタリアと照らし合わせてみればその濃度がわかるだろうと思う。
僕は小説を読むとき、そこに書かれている傍系の情報(どうでもいいこと)がとても気になってしまう。それら、気になって取ったメモの一部は、以下のようなもの。
洗濯物を窓の外に干すのはナポリ。
イタリアの売春防止法は1958年。(日本もそのころではなかったか?)
ムッソリーニの身長は166cm。(思ったより高い)
その息子ヴィットリオは映画脚本家。長年ブエノスアイレスで過ごした。(本当か?)
等々。
こういうことって気になるでしょう?