もちろん、1年を締めくくる気などない。大掃除などしていない。ちょっとした模様替えはしたけど。部屋のテーブルの向きを変えたのだ。なかなかいい。
さて、誤用が多い表現のひとつに「役不足」というのがある。本当はその役目が自分には物足りないという意味なのだが、どういうわけか、自分のようなものではそんな大役は務めかねます、という謙譲の意味に使われることが多い。
セサル・アイラ『文学会議』の翻訳で、一度この「役不足」という表現を使った。「世界征服というのもこれ以上はないほど控えめに設定した計画だ。なにしろ彼ほどの人間だから、それ以下では役不足というものだ」(25ページ)。この「役不足」は正しい使い方だ。でなければ厳しい新潮社校閲部からチェックが入っていたはずだ。
しかるに、今日、あるところで、この『文学会議』に触れながら、間違った意味での「役不足」を見つけてしまった。
まあ、どなたの書いた文章かわからないし、僕は言葉の番人を自称して悪しき世に立ち向かうつもりもないので、正確に引用して批判するつもりはない。ただ、なんとなく愉快に感じたのだ。きっとその人は『文学会議』本文で「役不足」の語を見つけたので、つられて使ったのであろうと推測などしてみる。そうして釣られて使ったのだけど、使い方は間違っていた。こうしたミスが、なんとなく面白いのだな。彼または彼女は小説本文中の「役不足」を果たしてどういう意味で取ったのだろうか? 追跡調査してみたくなるのだ。
しないけど。