2015年4月20日月曜日

語りの妙

クリスティナ・ベイカー・クライン『孤児列車』田栗美奈子訳(作品社、2015)

2011年、里親と折が合わず反抗的なモリーが、本を盗んだことに対する罰として社会奉仕をしなければならなくなる。行った先はボーイフレンドの祖母のヴィヴィアン、91歳。彼女の荷物整理を50時間に渡って手伝わなければならなくなる。

一方、学校の授業の課題で気乗りしないながらヴィヴィアンに彼女の移動、持っていくことにしたものと置いていったものについてのインタヴューを敢行し、レポートにまとめることになる。

小説の半分強は、1929年に始まるヴィヴィアンの物語だ。2011年のモリーとヴィヴィアンの話と29年に始まるヴィヴィアンの半生が、均等ではないが交互に語られる形式だ。アイルランド移民として合衆国に渡ったけれども、火事で家族を失ったニーヴが、「孤児列車」と呼ばれるものに乗せられ、多くの孤児たちとともに里親探しのツアーに出る。里親と言っても、慈悲心から孤児を引き取って子供として育てようという人ばかりでなく、ニーヴのようにもうすぐ10歳になろうかという大きな子供は、むしろ働き手としてしか必要とされず、バーン夫妻の縫製工場で織子としてこき使われ、ついでに名前はドロシーと変えられ、不況(大恐慌だ)で工場が危なくなると手放され、今度は子守役としてグロート夫妻に雇われ、虐待されて家を飛び出し、……という人生を辿ることになる。

とても重い内容の話なのだが、2011年の現在、モリーはゴスロリ・ファションに身を固め、ピアスをいくつもあけ、インターネットでヴィヴィアンの人生の関係者を探し、そのくせ『ジェイン・エア』が読みたくて図書館から盗みを働き、……といった人物設定のおかげで、細部がとても楽しい。ニーヴ/ドロシー/ヴィヴィアンも子供の頃に縫い物をならったおかげで縫製工場にもらわれることもあり、描写がファショナブルだ。ちゃんと風呂にも入れてもらえず、ノミがついたりして坊主頭にされたりと、彼女は劣悪な環境で生きているのだけれども、服などにとても気を使っているような描写が光る。

 バーン夫人は生地がたくさん置かれたコーナーにわたしを連れていき、安い生地の棚を指す。わたしは青とグレーの木綿のチェックと、優美な緑色のプリントと、ピンク色のペイズリーを選ぶ。バーン夫人は、最初の二つにはうなずいたが、三つ目には顔をしかめる。「おやまあ、赤毛には合わないわ」そう言ってブルーのシャンブレー織りの生地を引っぱりだす。
「わたしの頭にあるのは、控えめな服なの。フリルも最低限におさえて、質素で地味に。ギャザースカートがいいわね。仕事のときは、その上にエプロンをつければいいわ。エプロンはほかにも持っているの?」(130-131)


こういうのがとてもチャーミングに感じられる。ニーヴと母親の関係のこと、モリーの出自のことなどがだいぶ経ってから明かされるその語りもうまいのであった。