2015年4月18日土曜日

消えたアルムターシム、あるいは迷宮作家ボルヘスを求めて

「原典を読む」という全学部向けの授業で、今年はボルヘスの『伝奇集』を読むことにした。使用している版は、今おそらく最も簡単に手に入るAlianza社のポケット版。これはEmecéの全集版とほぼ異同はない。

が、実は、困ったことに現存する2つの日本語訳(鼓直訳、岩波文庫版と篠田一士訳、集英社版、この2つの間には、これから話す意味での異同はない)とはいささか違う箇所が存在する。

1)『伝奇集』は「八岐の園」と「工匠集」からなる。「八岐の園」に所収の短編は翻訳では8編。Alianza版(および全集版、以下同)は7編。第2短編「アルムターシムを求めて」El acercamiento a Almotásim が削除されているのだ。

2) 第一短編「トレーン・ウクバール、オルビス・テルティウス」はビオイ=カサーレスの持っていた百科事典に出ていた「ウクバール」という国がボルヘスの持っていた同じ百科事典には存在しなかったので、ではウクバールという国を作ってしまおう、として仲間たちでウクバールについての記述を作る、という話。その百科事典のUps-で終わる巻は、ボルヘス手持ちのものは46巻。ビオイが持って来たものも46巻。が、Alianza版は前者が46巻、後者が26巻。

3)「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」には、「鏡と交合は人間の数を増殖するがゆえにいまわしい」という有名なフレーズが出てくる。これがこの百科事典の記述からの引用だとされる。ビオイが自分の百科事典を携えて来たときには、最初のビオイの引用が、実は英語でなされたことを示すように、英語で繰り返される。「交合と鏡はいまわしい」と。2つの名詞の順番が入れ替わっていることなどはAlianza版でも翻訳版でも同じ。が、その後の百科事典からの引用で、実際は「鏡と父姓はいまわしい」だったことがわかる。その際に引かれる「原語」は、Alianza版ではhateful、翻訳では「アボミナブル」とルビがふってある。Alianza版(および全集版)は、それまで英語でもスペイン語でもabominableを使っていた「いまわしい」の語をここで言い換えているのだ。

ちなみに、ぼくの家にあるもうひとつの版、Seix Barral版(1983、これはEmecéの56年版を基にしたもの)では、2)の百科事典の巻数は、ボルヘスのものが47巻、ビオイのものは46巻。3)のabominableはhatefulに書き換えられていない。

……うーむ。ボルヘス、なかなかの策士だ。わかりきったことだけど。ぼくら読者は版の違いの迷宮に引きずり込まれ、こうしてテクストクリティークという出口(迷宮には必ず出口があるのだ……そうだ)に導かれて行くのだ。


ちなみに、消えた「アルムターシムを求めて」、鼓訳でも篠田訳でも訳者のあとがき(解説)で名をあげられている。消えた作品としてではない。鼓は「神の探求」として重要視し、篠田はこれを読めばボルヘスとチェスタトンの関係が一目瞭然だとして。そんな大切な作品を(しかも邦題は「……を求めて」だ。探求だ)隠してしまうなんざ、ますますいたずら好きな迷宮作家だと思い知らされるぜ。