前にも書いたが、世界文学・語圏横断ネットワークというのに発起人として参加している。中心となったのは西成彦、和田忠彦、沼野充義の3名で、その周囲に30名ばかりの発起人が集まり、立ち上げた。で、ぼくはその30名ばかりのうちのひとり。年に2回、研究会を開催している。第2回目の研究会が、この19(木)、20(金)と東京外国語大学であったので、行ってきた。古巣に。
初日の午後には池澤夏樹さんをお招きしてのシンポジウムもあった。
こうした研究会での成果は、他者の発表によってぼく自身が新たな視点を得られるか、そしてこれは読みたいと思う本に巡り会えるか、にかかってくる。崎山多美『ゆらてぃく ゆりてぃく』なんて作品に出会ったことは初日の成果のひとつ。サルマン・ラシュディの未読のものなど(恥ずかしい話だが、実は、たとえば『悪魔の詩』を読んでいないのだった)も読まねばと思った次第。
2日目の午後、「翻訳論のフロンティア」のセッション。齋藤美野「翻訳論と実践の繋がり」は明治期の翻訳家・森田思軒の実践を紹介するものだった。間接話法の「彼」に、当時まだ意味がたゆたっていた「己れ」を充てたという例に、早川敦子とともに司会をしていた鴻巣友季子がえらく感心していた。
なるほど。でも鴻巣さんに張り合う気はないが、ぼくは、この間接話法の三人称の処理に苦労し、何気ない編集者の提案によってそこに「自分」を使うとかなりうまく行くことに気づいたことがあった。へへへ。かといって、以後、そればかり使っているわけではないけれども。
そんなことよりぼくが同発表で驚いたのは、間接話法はわかりづらいので、通訳・翻訳の現場ではむしろ直接話法化することが推奨されている、という実態がある、と、さらりと報告されたことだ。
そうなのか!……
ある共訳の仕事をしたとき、共訳者が間接話法をほとんど直接話法で訳してきたことがあった。文学作品なんだし、ぼくはそのほとんどを間接話法に書き換えた。そのいくつかが、わかりづらいとして編集者から示唆されたのが「自分」だった。そうなんだな、きっとぼくはこのとき、森田思軒の後継者となったのだな。
今日はこれから、ぼくが名ばかりの代表を務める研究会。世界文学から一気にスペイン語圏への移動だ。
でも本当はこうして勉強してばかりではなく、自分の仕事をサクサクと片づけなければならないのだけどな……