世界にガブリエルという名はたくさんある。スペイン語圏ならたいていのガブリエルはガボと呼ばれるだろう。だが、ここ50年ばかりの間、ガボといえばこの人のことでしかなかった。世界中のその他のガボを駆逐し、たったひとりのガボの名を独占していたのだ、ガブリエル・ガルシア=マルケスは。そのガボが死んだ。
たとえば、こんな報道がある。そしてこんなものも。ブームを二人して支え、ガルシア=マルケス論まで書いたのだが、その後、いまだによくわからな理由からガボにパンチを見舞い、袂を分かったマリオ・バルガス=リョサの戸惑いと悲しみ。新たなる「私たちは仲違いしていた。が、仲違いなど何でもありはしない」を求めているのだろうか。
ともかく、そんな経緯のせいか、バルガス=リョサの『ガブリエル・ガルシア=マルケス 神殺しの物語』は今では手に入りにくいし、翻訳も許可されないので出ていない。その代わり、と言ってはなんだが、『疎外と叛逆――ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』寺尾隆吉訳(水声社)なんてのが、つい最近出された。かつて野谷文昭訳で『日本版エスクァイア TIERRA』にその3分の2ほどが掲載された二人の対談とその他のバルガス=リョサのテクストを併載した本だ。この書評を昨日、仕上げてあるところに送ったばかりだったのだ、ぼくは。
でもぼくがガボの訃報についての誰かのコメントを読みたいとしたら、プリニオ・アプレーヨ・メンドサだな。『グアバの香り』(木村榮一訳、岩波書店、2013)のインタヴュアー。『百年の孤独』が売れる前からガボをガボと呼ぶ特権を得ていた友人。Aquellos tiempos con Gabo (Barcelona: Plaza & Janés, 2002)で遠い存在になってしまった旧友を情感たっぷりに懐かしんだプリニオ。
……と思ったら、さすがにここにはこんなのがあった。プリニオの思い出話のビデオ。
……と思ったら、さすがにここにはこんなのがあった。プリニオの思い出話のビデオ。