2013年1月3日木曜日

変態に憧れて


書影は以前(2012年11月18日)、掲載済みなので、サイン本であることを知っていただくために、見返しのサインを。

奥泉光『虫樹音楽集』(集英社、2012)

『すばる』に掲載した連作短編。

変態……というのは、ぐふふ、うへへ、というヘンタイではなく、さなぎが蝶になる、あれだ。あれを目指したジャズメンの話。サックス奏者のイモナベこと渡辺猪一郎がカフカの『変身』に憧れ、「幼虫」だの「孵化」だのとついたセッションを重ね、ジャズ界から孤立していく短編「川辺のザムザ」を劈頭に置き、そこからそれにまつわるバリエーションが発展していく。やがてそれは渡辺柾一という実在のミュージシャンをモデルにしたものなのだと種明かし(?)が語られ、彼と組んでいたピアニスト畝木真治の謎のレコーディング遍歴の話になり、どうやら彼が書いた小説らしいと後で種明かしされることになる小説が挟まり……という具合だ。

著者の得意とするジャズ。それから著者自身が時々演奏している西荻窪の「アケタの店」、国分寺、西武多摩川線是政駅の先にある多摩川の川原南部線ガード下、など、著者の得意とする地理。実に楽しみながら書かれたことが忍ばれる1冊だ。誰もがわかるモチーフはカフカ。

ところで、イモナベを扱った第一短編にはモデルがいることがあかされる第三短編はこのように始まる。引用が長いので、短編の長いタイトルは書かない。

 近年出版されたマイク・モラスキー『現代日本のジャズ文化』(青土社 2005)は、「思想としてのジャズ」が戦後日本文化のなかで持ち得た意味を析出する好著で、興味深く読んだのだけれど、これが一つのきっかけになって日本のジャズ史に関心を抱いた私は、関連する著作や資料を少しずつ集めてみる気になった。
 通史的な著作としては、内田晃一『日本のジャズ史 戦前戦後』(スイング・ジャーナル社 1979)が最も浩瀚かつ体系的な著述であり、また戦後のフリー・ムーブメントに対象は限られるが、副島輝人『日本フリージャズ史』(青土社 2009)も貴重な仕事である。この両者を除けば、通史と呼べるようなものは他にはほとんどなく、しかし、そもそも体系性がジャズに似合わないともいえるわけで、むしろ長くないエッセーや評論に面白いものが多いのも事実である。相倉久人『現代ジャズの視点』(東亜音楽社 1967)、平岡正明『ジャズ宣言』(イザラ書房 1969)などは、いまなお新鮮な刺激と魅力に満ちているといえるだろう。本にまとめられていない雑誌の記事やライナーノーツにも光るものがあって、仕事を終えた深夜、音楽を聴きながら、古本屋で漁った本や雑誌の埃臭い頁をぱらぱらとめくるのが、このところの我が生活の愉しみになった。
 菊池英久『モダンジャズあれやこれや』(鶏後書房 1979)も、大阪に所用で行ったおり、ぶらり立ち寄った古書店で見つけた本である。(略)たとえば冒頭に置かれたエッセー、「フルートを吹くコルトレーン」などは興味深い。(42-43ページ)

実在の書名を挙げて論評しながら、そこに架空の書物を紛れ込ませて、架空の話を展開していくというこの手法。

そう。これはボルヘスなのだ。この連作短編集のもうひとつのモチーフは、つまり、ボルヘス。そういえば作者は一昨年、野谷文昭編『日本の作家が語るボルヘスとわたし』(岩波書店 2011)というのに寄稿していたのだった。この基になった講演録は『すばる』2005年5月号に掲載されたのだった。掲載した後、奥泉と『すばる』の担当編集者が話し合ったに違いない。今度なんかボルヘスみたいな連載、やりましょうよ、とかなんとか……

『虫樹音楽集』の第一短編「川辺のザムザ」初出は『すばる』2006年1月号だ。