エスプロンセーダが、それも岩波文庫で訳されるのは初か? このところ活躍目覚ましい佐竹さんのお仕事。ドン・フアンをモチーフにした物語詩(最終部は戯曲仕立て)だ。
ドン・フアンものを読み比べるといろいろなことが見えてくる。ティルソ『セビーリャの色事師と石の招客』とソリーリャ『ドン・フワン・テノーリオ』では、圧倒的にセリフの長さが違う。内面をセリフにして表出する、その量は後者が多い。死して後のドン・フワンの悔悟の念やドニャ・イネスの情愛というのが、こうして観客に迫ってくる。ソリーリャの生きた19世紀は、ティルソの時代より圧倒的に言葉の時代、言葉による内面の表出の時代だということがわかる。
ソリーリャとも違い、このエスプロンセーダのドン・フアンものは、主人公が地獄に落ちてからの場面が長い。圧巻だ。オルフェウスの冥府下降は腐った妻を見るためのものだが、ここではドン・フェリックスが腐敗したドニャ・エルビラをかき抱くのだ。
これを買った土曜日、15日、立教大学ラテンアメリカ研究所講演会「現代のラテンアメリカ」を聴きに行った。石橋純&Estudiantina Komabaの講演&コンサートだ。石橋純さんが東大教養学部で開いている「ラテンアメリカ音楽演奏入門」とかいう授業の受講者たちで作ったベネズエラ音楽のユニットだ。
そういえば石橋さんは、外語大での学生時代、スペイン語で『ドン・フワン・テノーリオ』主演を演じたのだった。
立教の講演会、もうひとりの演者は大石始さん「グローカル・ビーツ時代のラテンアメリカ音楽」。ヒップホップなどがコロンビアやチリ、アルゼンチンなどでどのように展開しているか、という話。
コロンビアは今、ヒップホップのもっともホットな地域なのだ。イギリスのミュージシャンなどもボゴタに住んで、プロデュースしたり自ら発信したりしているのだという。
さらにこの日の前々日は、コロンビアから久しぶりに出張で帰国した友人(この人もなかなかのドン・フアンぶりなのだが、それはまあいい)と会っていた。麻薬関係の犯罪とテロの印象がどうしても払拭できないコロンビアで彼は、防弾ガラスの車に運転手つきの生活をしているが、アメリカ人やイギリス人からは笑われるのだという。それだけ、テロの恐怖は今は昔の話だとのこと。