あるシンポジウムを聴きに行きたかったのだが、ぜんぜん仕事が終わらないので断念した日曜日。こんなのが届いた。
ペドロ・アルモドバル『私が、生きる肌』(スペイン、2011/松竹)
ぼくはブルーレイディスクプレーヤーなど持っていないのだ。けれども、何を考えたか、ブルーレイを買ってしまった。
それと気づかずに。
しかたない。プレーヤーを買うのか? こうやって需要はその気もないのに作られていくのか?
仕事帰りに書店で買ってきたのは、背景にかすむ二冊の本。筑摩書房の「高校生のための」シリーズ。
岩間輝生、坂口浩一、佐藤和夫、関口隆一編『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選 改訂版』(2012)
紅野謙介、清水良典編『高校生のための近現代文学ベーシック ちくま小説入門』(2012)
前者は好評の既刊を改訂して取り上げる文章なども入れ替えたもの。後者はそのシリーズを小説でやってみた、という感じのもの。奥付が一部の終わりにあって、付録のように第二部「解答編」がついているという造りは同じ。『評論選』と違い『小説入門』には、まず最初に「小説への招待」というのがあり、そこで小説を読むための心構えのようなものが説かれている。いわく、小説は言葉からできている。小説には人物がある。その把握が必要だ。造型、心理、相互関係など……語り手がいる、文体がある、比喩が使われる、……等々。多角的に小説を読むしかたを説いている。
ふむ。問題は、こうしたことが果たして現実の高校での現代文の授業でどれだけ教えられ、実践されているかということだ。それをぼくは知らないのだが。