2011年7月11日月曜日

ラストスパート?

まったく、授業最終週の前の週で、試験問題を作ったりといろいろ忙しいはずなのに、木、金、土、日と連続で社交生活を送っているものだから手に負えない。

木曜日はスペイン大使館。東京国際ブックフェアのテーマ国であるスペインから、6人ばかり作家がやって来たので、その歓迎レセプションだ。なぜか招待状をいただいたので、行ってきた。やって来たのはカルメン・アルボルク、イサベル・コイシェ、フリオ・リャマサーレス、アルフレド・ゴメス・セルダ、サンティアーゴ・パハーレス、フェルナンド・サンチェス・ドラゴ。

リャマサーレスには数年前でゼミで邦訳された二作品を読んだこと、そのときの学生のひとりは卒論に彼の作品を取り上げたことを話した。日本語は読めないけれどもおみやげにくれよ、と言ってきたので、翌日、差し上げた。

翌日、金曜日はセルバンテス文化センター。6人の作家たちが次の日のブックフェアで何を話すのか、そのさわりを話した。コイシェは東京での映画撮影のこと、サンチェス・ドラゴは教師として日本にやって来てここがふるさとだと感じたこと、……等々。

やや遠方から友人が来ていたので、レセプションを途中で抜け出して、四ッ谷で食事。けっこう遅くまで呑んで、酔っ払った。

土曜日はブックフェア。朝も早くからの連続講演で、ぼくは午前中は用があったし、12時に始まるコイシェのセッションから参加。映画というのは撮影の体験をも含むものだというコイシェが、東京体験中に書き綴ったものを読み、対話相手の都甲幸治が映画の道具立てなどについて実にすばらしい質問をして、話が進んだ。

リャマサーレスはさすがに一番人気で、対話であるよりも前に表現であるという自らの文学を語った。最も印象に残ったのは、「声を持たない者に声を与えるために書く」という言明。これには次のカルメン・アルボルクも賛意を表明していた。アルボルクは『シングルという生き方』の翻訳があるが、翻訳者の細田晴子さんもマイクを向けられ、経緯を語った。パハーレスはリャマサーレス同様、翻訳者・木村榮一との対談形式。書くペースや書いていないときの作家のあり方、書くべきことは向こうからやって来るということなどについて語った。

卒業生が来ていたので、夕食を。また遅くなった。

日曜日は朝から東大で博士論文の審査。知人の審査の傍聴に行ったのだ。すばらしい論文だったようで、こういう論文の口頭試問というのはだいぶ手厳しい批判や質問が飛んだりするものなのだが、優れたできであることについては審査員全員が意見の一致を見ていたもよう。終わってからお祝いの食事会。

夕方は、さらに、ぼくは中学の同級生たちと集まって、以前紹介した土濵笑店に。とても親しくしていた年長の友人の娘さんのお店であることが発覚。

やれやれ、酒が抜けきれない。