2011年7月12日火曜日

感慨深い


これがごうごうの非難を浴びたのだが、でも、これを見ていると、音楽の解釈がよくわかるし、何より、カルペンティエール『春の祭典』における主人公ベラの思想が実によくわかるというものだ。

カルペンティエールの小説『春の祭典』は、もう10年ほど前に翻訳が出た。ぼくが3年ばかりもかけて訳したものだった。ぼくは特にバレエ好きというわけでもなかったので、ずいぶんとバレエについて学んだし、そこで言及されているバレエ作品なども観るようにしたことはした。でも、ニジンスキー版『春の祭典』というのは、ついぞ見ることはできずにいたのだった。もう訳も終えてから、『春の祭典』の告知を見たように思うが、ニジンスキー版ではなかったはずだし、終わったことだったので、実際にはそれは見に行かなかった。

カルペンティエール『春の祭典』では、主人公のベラは、このバレエ作品初演に参加したわけではないけど、モンテカルロ・バレエ・リュスに参加していて、初演の15年後くらいに新解釈による『春の祭典』に挑もうとして叶わなかったという経験を持つ。

やがて恋人のエンリケと共に、ヨーロッパの戦争を逃れてキューバに渡り、そこで黒人たちの高く垂直に飛ぶ踊りの可能性を見出し、これによって『春の祭典』の新大陸バージョンを考える。それもまた独裁制によって潰えてしまって……という話だ。

カルペンティエール『春の祭典』というと、革命万歳を主人公たちが叫んでしまう体制順応主義みたいな結論部分が非難されることが多く、なかなかベラの到達するストラビンスキー解釈の局面に目を向ける人が少ないように思う。みんなきっと、バレエを見ていないのだろうなと思う。

これを見て新たに解釈しなければ。