2022年2月21日月曜日

今夜、非常階段で

スティーヴン・スピルバーグ監督『ウエスト・サイド・ストーリー』アンセル・エルゴート、レイチェル・ゼグラー他(2020


ロバート・ワイズ監督『ウエスト・サイド物語』(1961を通しで観たのは、実際には23度しかない(最初は1979年正月、テレビ初を銘打って正月特番で放送したTBS系列の吹き替え版。ナタリー・ウッドのマリアを大竹しのぶが、リチャード・ベイマーのトニーをトニーならぬ “トミー”、国広富之が、ジョージ・チャキリスのベルナルドを沢田研二が吹き替えた。合間に入るCMも確か資生堂の特別版。薬師丸ひろ子主演の数分のもの、……ってなことまで思い出したのだ、今日)し、僕はミュージカルにそれほどの趣味はないのだけど、それでも「ジェッツのテーマ」や体育館でのダンスでの「マンボ」が流れると滂沱の涙を流さないではいられないのだ(大袈裟)。


トレーラーで観るトニーとマリアの出会いのシーンでは主役のふたりが線が細すぎるような気がしてどうかなと思ったのだが、3時間近く観ているとこれでいいのだという気になるのだからやはり僕はだまされやすいのだな。今回はリフ役のマイク・フェイストがいちばんのあたりだったような気がする。


今年、卒業論文でトルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』(1958を扱った学生がいて、その卒論を読みながらこの作品とその映画化作品(1961)、および『ウエスト・サイド物語』(原作舞台の初演が1957年、映画が61年)がニューヨークのアパートの非常階段をこの街の代名詞として印象づけるのにいちばん寄与しただろうし、場合によってはこれらがいちばん新しい舞台設定として非常階段を使ったと言えるのではないかとの仮説を立てたのだが、そんなことがあったので、今回、スピルバーグ版も観ようと思ったしだいなのだ。


もちろん、マリアとトニーの逢い引きのシーン、「トゥナイト」を歌うそのシーンは原作同様、非常階段を使っている。これはもちろん、その本歌取りの本歌であるところの『ロミオとジュリエット』の有名なバルコニーにシーンの応用なのだから、当然だ(そして『ロミオとジュリエット』はそれはそれで当時のグローブ座などの構造を利用するシーンであったわけだけど)。


ベルナルドとアニータが中心となる男女での言い合いの歌「アメリカ」のシーンはワイズ版との違いがくっきりわかるところ。夜の屋上でのシーンを朝の街中に変えて街中を巻き込んで単なる男女の意見の対立に終わらない多様性を打ち出している(このシーンのロケにはジャームッシュの同名の映画の街パターソンも使われている)。


実際、スピルバーグ版の今日的で優れているところは、プエルトリコ人たちの不良少年グループ〈シャークス(シャーク団)〉と、それ以前の移民の子(イタリアやポーランド、等々)で既に「アメリカ人」であるもののステップアップができないでいる〈ジェッツ(ジェット団)〉の対立の話を、ワイズ版などよりははるかに丁寧に本当らしく作り込んでいることだ。ワイズ版のベルナルドを演じたジョージ・チャキリスは格好良かったけれども、彼の発する “¡Vámonos muchachos!” というせりふはどう贔屓目に見てもプエルトリコ人には到底思えなかった。今回、マリア役のレイチェル・ゼグラーは母親がラティーナであるらしいが、本人はプエルトリコ系との意識はないだろう。が、言語指導を受けて立派なスパングリッシュをしゃべっている。ワイズ版を確認したわけではないので印象で語っているのだが、せりふはだいぶラティーノ化したのではないだろうか? 


ワイズ版でアニータを演じたリタ・モレーノが製作総指揮のみならず、ドラッグストアのドックの未亡人という新たに設定された役バレンティーナとして出演もして参加している。


そして音楽はニューヨーク交響楽団、指揮はグスタボ・ドゥダメルだった! 彼はエル・システマのユース・オーケストラを指揮していたころにはよく「マンボ」などを演奏していたのだ。


写真はイメージ。去年の今ごろ。