机の前にこんなものを貼ったりする。
これは19世紀に描かれた絵なのだが、この情景についての記述が翻訳中の小説にあり、小説の描写どおりに訳したものの、今ひとつその訳に自信が持てず、未知のその場所の映像を探したら、結構数多く見つかった写真よりもこれがいちばん小説の描写に近いだろうと思われた。それで、既に公共財産(パブリック・ドメイン)であるこの絵をプリントアウトして机の前に貼り、それを見ながら訳文をチェック。
いや、本当は貼る前にこうして原稿のすぐ近くでチェック。以後もこの舞台には言及されるので、その後、コルクボードに貼った。サンティアーゴ・アルバレスの絵はがきが見えるのは何年か前にアテネ・フランセでこの監督のレトロスペクティヴを見たときのもの。写真で見にくいかもしれないが、コルクボード左隅の絵はがきはホセ・グティエレス=ソラーナ「カフェ・ポンボでの集会(テルトゥリア)」。これには、そういえば、放送大学の収録で言及したのだった。気になる方は4月からの授業「世界文学への招待」第10回をどうぞ。
あるところに引用しようと思ってジョルジョ・アガンベン『書斎の自画像』岡田温司訳(月曜社、2019)を読み返し、この本への愛着を新たにしたのだが、それというのも、もうひとつの翻訳中の小説に通じる何かを感じたからだ。そして、その何かに導かれて、僕自身の書斎の写真を上げているのだろうと思う。
アガンベンの本は自分がこれまで使ってきたいくつかの書斎の写真に映った本や写真などを手がかりに他の知識人などとの交流を想起するという本。机や本棚に写真やもらった手紙などを飾ってひとつの世界に作り上げているので、その世界の叙述が可能になるということ。
もうひとつ翻訳中の小説というのは、あるあくどい医者によって記憶を操作された人物が、他の医者の治療によって取り戻した記憶を語る、そしてその語った記憶がトロツキー暗殺に関わって来るもののそれであった、という作品。記憶を取り戻すことに尽力した医師というのがオリヴァー・サックスで、彼はマテオ・リッチの「記憶の宮殿」をヒントに、当該の人物に居住スペースの壁などに貼った紙に、Ⅰ箇所1項目の原則で思い出や知識などを書かせていくという治療を施したというのだ。つまり、その患者の病室を彼の脳内の反映たるひとつの世界にしたのだ。
書斎や居住スペースを自分の脳内の延長として、かつ、それを世界として構築するというのが、つまり、現在の僕の関心事。