20年近く前に行った調査研究(アレホ・カルペンティエールのベネズエラ時代)を、そのときにパニック障害を患った経験ともども本にまとめようとしている。
詳しくはそちらで書くだろうが、ともかく、パニック障害を患い、僕は5年ばかりも抗鬱剤を飲む羽目になった。パニック障害は鬱病周辺病で、僕にはだいぶ鬱に近い症状があったのだ。
1日を無駄に過ごすことが多かった。何もできなかったのだ。そんなときに、見るとはなしにTVを見てしまうことが増えた。
今ではだいぶ回復しているものの、たまに当時のように身体が重く、無気力で何も仕事が手につかないことがある。そんなときにTVをつけてしまうことがある。
数年前、そのようにして吉岡里帆という女優を認識した。数時間、何もできずについたTVを眺めていた。彼女が時間をおいて3つの異なるCMに出ていた。それを僕は別人だと思った。少し動く気力ができたところで、そういえばあのCMに出ていた人は何という人なのだろうと思ってネット検索し、その3人がひとりの人物であることを知り、驚いた。それが吉岡里帆だったのだ。
その彼女が、昨夜、あるTV番組に出ることを偶然知った僕は、深夜だがまだ眠くなかったし、もう何もする気力がなかったので、それを見た。笑福亭鶴瓶がホストとしてゲストに色々話を聞くというもので、前半が吉岡里帆、後半が江川卓をゲストに迎えていたのだ。吉岡里帆はそこで、子供のころ曾祖父母の家の近くにあったレストランのお子様ランチが懐かしいと訴え、今は閉店してしまったそのレストランの店主のビデオ・メッセージとともに、再現され提供されたお子様ランチを食べた。そして、口にした瞬間、味を思い出した、この味だ、と歓喜した。
そんな馬鹿な、と独りごちて冷笑した僕ではあったが、次の瞬間、思い出したのだ。そうだ、僕にもそういう経験があったのだと。
数年前、母が入院し、最初に運び込まれた名瀬の県立病院から家の近くにある他の病院に転院することになったとき、それに付き添ったのだった。そのとき、やはり付き添いできた親戚の人と、介護サービスの車が来るまでの待ち時間を病院内の食堂で昼食を食べてやり過ごすことにした。食堂に入ってメニューを見渡し、何気なく親子丼を注文した。やって来た親子丼はさしておいしいとは思わなかったのだが、そう感じた次の瞬間に、記憶が甦った。
ここは、まだ5歳くらいだったころ当の母とともにやって来てこれとまったく同じ親子丼を食べたあの場所だったのだと。それが僕にとっての初の外食経験だったのだと。そして、その他にも診察にいったことのある他の病院このと、バスを待つまでの時間にターミナル近くの飲食店で食べた他の親子丼(僕はどうも子供のころは親子丼が好物であったらしい。家では出された記憶がないので、よけいに外ではそれを食べたがったのだろう)のことなど、記憶が次々と甦ってきたのだ。その後の人生で僕は何百回、何千回となく親子丼を食べてきたはずなのに、初めての外食が親子丼であったことなど忘れていた。それを思い出すにはこの県病院の食堂のあまりおいしくない親子丼でなければならなかったのだ。
もちろん、これはプルーストにおける紅茶に浸したプチット・マドレーヌ効果である。今朝起きた瞬間、僕は改めて昨夜の吉岡里帆のこととそこから引き出された自分自身の記憶を反芻して、確認した。長大な『失われた時を求めて』の第一編「スワン家のほうへ」第1章末尾に出てくるエピソードで、母親からすすめられて紅茶に浸したプチット・マドレーヌを食べた瞬間、幼少期のコンブレーの家での記憶を回復するという、あのあまりにも有名なエピソード。吉岡里帆のお子様ランチはプチット・マドレーヌであり、僕の親子丼はプチット・マドレーヌである。そして吉岡里帆のTVでの振る舞いは僕のそのマドレーヌ的経験を思い出させたという意味でこれもまたマドレーヌであった。マドレーヌ(スペイン名マグダレーナ)ではなく里帆だけど。
僕がまとめようとしている本のタイトルは『失われた足跡を求めて』というものにしようと昨日昼間、考えたところであった。
渋沢栄一がゲストハウスに使っていた家@飛鳥山公園。