2021年3月13日土曜日

痩我慢を分かち合う

巽孝之さんの慶應義塾大学での最終講義がzoom配信されるというので、登録して拝聴(たしかこの後YouTubeでも配信されると言っていたはず)。


最終講義ということで、アルフォンス・ドーデの「最後の授業」から始まり、それが「失われた大義」lost cause をめぐるものであったと解釈のし直しが可能だろうと提起して、当の「失われた大義」をめぐる文学や映画などに触れる。「失われた大義」というのは英語もしくはアメリカ文学の文脈で言うと、南北戦争に敗れた南軍側の言い訳で、これが『風と共に去りぬ』や『アブサロム、アブサロム』に流れていること、『ハリエット』や『フォレスト・ガンプ』にも通底していることをたどる。そこにcreative anachronism に基づく歴史へのしっぺ返しの可能性も示唆したりしながら。


そしてこの「失われた大義」とのアナロジーで福澤諭吉の晩年の勝海舟批判に出てくる「痩我慢」を理解し、彼が関係を取り持った同時代のアメリカ人、ヘンリー・ソローなどとの通底性を探る。


最後にスラヴォイ・ジジェクらを引きながら、現代社会において失われようとしている(もしくはもう失われてしまった)大義らを示唆し、コロナの時代を生きる奇貨とした。


巽さんが相手にしている国(アメリカ合衆国)によって大義を奪われ失ってしまった(と主張する)国々を主たるフィールドとする人間としては、そうした「痩我慢」の入れ子構造にひとつの共感のよすがを見出す回路を夢想しながら聞いていたのだった。


写真はイメージ。渋沢栄一ゆかりの地の近くにある渋澤珈琲。特に関係はないと思う。