12月31日のハロウィーンには悪名高い渋谷のすぐ近く、原宿のあたりまで行ったのだが、幸い、その辺りまでは害は及んでいなかった。通常の賑わいを見せる原宿だった。Fonda de la Madrugadaに行ったのだが、軒庇に印象的な店のロゴがなくなっていた。台風の影響だろうか?
昨日11月1日(金)は東大駒場キャンパスで総合文化研究科の武田将明さんが主催したシンポジウム「現代フィクションの可能性」を聴きに行った。18号館4階コラボレーションルーム1は満員の熱気だった。
山本貴光は条件分岐をアルゴリズムによって無限再生できるようにすればフィクションの銀河系が無限に膨張する、そうしたときにどのように人はそれに接触できるのかと問い、松永伸司は分析美学の立場からあくまでも理論の問題として、プログラミングそのものというよりはそれに与えるシミュレーションの指示こそが実体感や手応えを与えているのであり、それこそがフィクションであると定義した。久保昭博は自身の翻訳したジャン=マリー・シェフェール『なぜフィクションか?』を紹介するに物語論の歴史に位置づけながら、事実がフィクションなのだと断じた(少し用語は異なっているかもしれない)。
ただし、聞き違いでなければ、シェフェールはあくまでもリアリズム小説を措定しているとのこと。リアリズムでもなければゲームでもないフィクションを扱う身として、さて、どのように受け止めるか?
今日は11月2日。死者の日のため立教のラテンアメリカ講座は休講だ。(死者の日だからではないのだけど)