2019年11月9日土曜日

乞 御高覧


117日(木)にはラテンビート映画祭が始まった。オープニングはホナス・トゥルエバ『8月のエバ』

8月の最初の2週間、ヴァカンスには出ず、マドリードに居残ることにした女優のエバは、もう女優をやめようと思っているけれども、どうすればいいのかわからず、漫然と日々を過ごす。自分探しに旅に出るのではなく留まるという選択。観光地を巡るバス(ツアーではない)に乗って目についたアジア系の観光客の後をついて行ったり、映画館で後ろに座った女性の話すチャクラについてのセッションを受けたり、……前評判としてエリック・ロメールのようだと聞いていたが、なるほど、ロメールだ。そしてロメールとは決定的に異なる要素もある。主演のイタソ・アラーナのインプロヴィゼーションによると思われる科白と振る舞い。これがロメールを彷彿させる。彼女の身のこなし。これは決定的にロメールとは異なる。

上映後、食事に入った新宿〈どん底〉にこんなサインが。これが見られるセクションに入るのは、初めてだったので、初めて気づいた。僕はこのサインがなされた日の前後に、このサインの主(クリスティーナ・オヨス)に会っているはず。

今日、119日(土)にはアレハンドロ・アメナーバル『戦争のさなかで』を見てきた。

内戦勃発直後から死ぬまでのミゲル・デ・ウナムーノ(カラ・エレハルデ)の苦悩が中心。共和国支持でありながら、共和国内の複雑な関係から不遇を託ち、ゆえに反乱軍支持と取られ、よってサラマンカ大学終身学長の身分に返り咲いた哲学者が、19361012日の「民族の日」(その後イスパニダーの日になる)の式典で追い詰められて渾身の演説を打つまでの話だ。反乱軍側の複雑な力関係から、優柔不断で情けなく見えるフランシスコ・フランコ(サンティ・プレゴ)が総統(カウディージョ)の地位に就く過程も描き、二人の揺れる人物のコントラストが面白い。この二人が直に面談した瞬間から、頼りなさげなフランコは決然たる独裁者に態度が変わったように見える。これもひとつの見所。ミリャン=アストライ(エドワルド・フェルナンデス)の悪役ぶりもいい。

フランコの墓が移設されたばかりだ。このことが話題になっていた時期が撮影時期に重なっていたに違いない。この時期にこうした映画を作るのだから、だいぶ議論の的になったのではあるまいか。


昨日、8日(金)にはついに本ができあがってきた。『テクストとしての都市 メキシコDF』(東京外国語大学出版会)。

すてきな装丁だ。