ニロ・クルス作、西川信廣演出『熱帯のアンナ』@文学座アトリエ
キューバからの亡命家族出身のクルスが、フロリダのタンパでのキューバ人移民による葉巻工場を描いた作品(鴇澤麻由子訳)。
劇中では「レクター」と訳していたが、lector、朗読者の話。キューバの葉巻工場では、単純労働の工員たちの気を紛らわせるために朗読係というのがいて、読み聞かせをしていた。その読み聞かせの伝統を、禁酒法時代の合衆国でも頑なに守っている工場が舞台なのだ。葉巻工場の朗読係のことはアルベルト・マングエル(何度でもいうが、マンゲルだ)も書いているし、ビセンテ・アランダの映画『カルメン』でも、最初、ちらりとカルメンの働く工場内に朗読係が見えた。ぼくの母は大島紬の織工だったが、彼女も工場(こうば)で、そして工場が解体して家で織るようになってからは家で、常にラジオを聞きながら作業をしていたから(たぶん、ラジオは朗読係の後を継いだのだ)、この存在にはいささかの興味がある。そしてこの存在に焦点を当てた劇となると、俄然興味が沸くではないか。
禁酒法の時代だから、朗読係はラジオに取って代わられていてもおかしくなかった。でもサンティアゴ(斎藤志郎)の葉巻工場では朗読者を必要としていた。そして死んだ前任者に代わってフアン・フリアン(星智也)がやって来た。背が高く、声も美しい。サンティアゴの妻オフェリア(古坂るみ子)や娘のコンチータ(松岡依都美)、マレラ(栗田桃子)はメロメロだ。そしてフアン・フリアンの読むトルストイ『アンナ・カレーニナ』にすっかり心を奪われてしまう。
禁酒法の時代だから、そろそろ葉巻を作る仕事は機械化されていてもおかしくない。事実、サンティアゴの腹違いの弟チェチェ(高橋克明)は、工場を機械化しようと虎視眈々、狙っている。闘鶏にうつつを抜かして借金を無心してきたサンティアゴに、肩代わりに工場の権利をもらえそうだとなると、機械化を提案する。そしてそれを実行に移そうともする。が、伝統を守りたいと考える(そしてまた失業を恐れる)他の工員たちの反対に遭う。
時代の変化だけの問題ではない。チェチェはかつて、フアン・フリアンの2代前の朗読係に妻を寝取られ、駆け落ちされた過去がある。だからみんなは意趣返しであろうと邪推する。それはあながち外れてもいない。
そう。読む者はその物語内容と声とで、それを聞くものの心をとりこにするのだ。夫パロモ(大場泰正)の浮気を疑うコンチータはフアン・フリアンとの不倫に走り、マレラもフアン・フリアンへの思い断ちがたく、……と愛憎劇が展開する。読書が肉体を意識させ、官能を誘発するのだ。
フアン・フリアン役の星智也の声が素晴らしい。そしてまた194cmの偉丈夫。立派なものであった。文学座のサイトで声が確認できる。