2013年9月15日日曜日

スクロールはめくりに対抗できるか?

そんなわけで(そんな、というのは、ふたつ前の書き込み、論文の書き方などの話題)、大学生のための論文の書き方、といった類の書などは大同小異、同じことが書かれているし、逆の見方をすれば、その同じことを際立たせるためのさまざまな工夫がなされている。が、ひとつある要素に欠けているように思うのだ。

石ノ森章太郎は幼いぼくに多大なる影響を与えた人物のひとりで、彼の『マンガ家入門』などはこどものころ読んでいたのだった。現在は『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(秋田文庫、1998)として文庫化されている。これの自作「龍神沼」の解説などはすばらしい。マンガを、いや、マンガといわず、フィクションを読み解くための手ほどきがしてある。

さて、この「龍神沼」解説の直前、ストーリー漫画のための準備として、いくつかの用語解説をした後に、石ノ森は「では、ノートを一冊、用意してください」(96ページ)と読者に呼びかける。そこにテーマ、シノプシス、プロット、ストーリー、メモ、キャラクターのデッサンなどを書きこんでいくことを指示している。それからコンテを描いて、ネームを入れて、と……「めんどうなようですが、ストーリーマンガの場合は、この段どりが、もっとも重要なのです」(97)と。そして絵にふきだしが入るマンガの形式でももう一度、ノートの取り方を説明している。特に思いついたことを片っ端から書いていくメモは大切だ、と。「すぐには/役にたたなくとも/長い話の場合/そのうち いつか/役にたってくる/のだ」(96)。

「論文の書き方」は論文を目指すのであって、マンガを目指すのではない。それでも、これと『マンガ家入門』との差異は何かを教えてくれているようだ。

たいていの論文指南書などではカードの形式でメモをとることは推奨されている。引用する文献の引用箇所をメモしたり、書誌情報を書いたり、思いつきをメモしたり。それらを並べ替えれば論文の一丁上がり、と。あるいは少し気のきいたものならば、アウトラインを作ることを勧めたり、メモと論文完成の間にパラグラフ・ライティングを鍛えることを勧めたり、……。が、『マンガ家入門』における「ストーリー」や「シノプシス」「プロット」に相当する部分(さすがに「キャラクター」は要らないと思う)はないがしろにされているような気がする。すくなくともそれがメモなどと同じノートに記されるべきだという指導はない。

マンガにおける「ストーリー」に相当する部分を敢えて探し出すならば、論文においてはアウトラインということになるかもしれない。アウトラインであるならば、今ではワープロソフトのアウトライン機能を活用せよ、などという示唆はなされる。一方でカード(もちろん、今ではそれが電子化されていてもかまわない)を取り、他方で別の場所でアウトラインを書く。それが同じ一冊のノートの中であるべきか否か? それが疑問として浮上してくるのだ。

少なくともぼくは同じ場所に収めたいと思う。であるならば、それは紙のノートであるべきか、最初から電子化されるべきか? 

ぼく自身、いろいろと試行錯誤を重ねていることも間違いない。最近では、ある文章を書こうとなると、そのためのフォルダをつくり、メモやら文章やら章立て案やらを書いてはそのフォルダの中に収めておく。フォルダの名は〆切日とタイトル(仮)にしておく。が、そもそもタイトルの発想などは手書きのメモの方が出てきやすいように思っていることも間違いない。手書きの方が立ち上がりも早い。論文向けの特別なノートというのを作らず、ふだんのノートに手書きのメモは書き、アイディアが立ち上がったらフォルダを作る、というやり方を採ったりもする。試行錯誤だ。


ひとつだけ確実なことがある。現在、ぼくが書きあぐねている文章のほとんどでは、きちんのそれ専用のノートを作っていないということだ。やれやれ。最初からやり直しだ。