青木深『めぐりあうものたちの群像:戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』(大月書店、2013)
をめくっていたら、アメリコ・パレーデスが進駐軍の通信隊員記者として来日し、そこで出会った日系ウルグアイ人女性と結婚したこと、メキシコの「ジプシーの嘆き」が日本語で歌われていることに驚いたことなどが紹介されていて、軽い興奮を覚えた。Ramón Saldívarのパレーデス研究などによるところも大きいのだろうが、このパートの前に挿入された思い出話によると、青木は偶然サンディエゴの博物館で見たコリード展とそこにあったパレーデスの『ピストルを手に携えて』(1958)を見つけ出し、これと進駐軍のリストにあったパレーデスなる人物とのかかわりを探る気になったらしい。この本は一橋に出された博士論文が基になっているというから、マイク・モラスキーの指導を受けた人なのだろう、青木さんは。面白い。
実に興味深い。あのアメリコ・パレーデスが日本に来ていたなんて。
「グレゴリオ・コルテスのコリード」と呼ばれる民衆詩(コリード)群を研究して、テキサスの国境警備隊(テキサス・レンジャー)の横暴への恐怖と反感とを読み取り、チカーノ(メキシコ系アメリカ人)研究の一大メルクマールとなった『ピストルを手に携えて』With His Pistol in His Hand はこの分野の古典だ。副題を A Border Ballad and Its Hero という。英語の文脈にとってわかりやすく、border balladとしているが、それが、コリード。そしてまたballadとするに格好なことだが、これは中世スペインで叙事詩が断片化して生まれた民衆詩ロマンセromance(だから、まさに、バラードなのだが)の新大陸版変種のひとつなのだということだ。パレーデスの研究はそうした歴史的展開をも含むものだった。ロマンセが境界地域の緊張を背景に産出されたように、コリードも境界地帯の緊張を背景に持つ。「グレゴリオ・コルテスのコリード」とはそうしたものだ、と。
『ピストルを手に携えて』にはそのコリードの歌い方をも書かれていた。胸を張って顔を大きく反らせ、口を大きく開けて高らかに歌うのだ、と。「近頃のパチューコども風ではなく」と。(パチューコというのは、特に1940年代カリフォルニアあたりのチカーノの不良集団のこと。オクタビオ・パスのメキシコ人論『孤独の迷宮』は、この集団のメンタリティの分析から始まっている)
ぼくは以前、ルイス・バルデス『ズート・スーツ』の少なくとも映画版(1981)の狂言回し「パチューコ」(エドワード・ジェイムズ・オルモス)の姿勢が、この記述に端を発するのではないかとの予想を話したことがある。授業でも一度か二度、扱っているはずだ。バルデスがこの原作戯曲(1978)を仕上げるためにコリードの研究などをしたことは知られている話なのだし、と。
バルデスの戯曲=映画の舞台となったのは1940年代のカリフォルニア。1941年、実際の冤罪事件が基になっている。日米開戦の年だ。当時流行っていたズート・スーツは特にチカーノたちの専売特許というわけでもないが(たとえばキャブ・キャロウェイのような黒人も着た)、このチカーノ、特にパチューコたちのファッションは、メキシコのカウンター・カルチャーの走りともなった。とホセ・アグスティンは書いている。
ズート・スーツというのは、幅広で裾だけぎゅっと締まったボトムズにダブダブで長い上着のスーツのこと。この上下をボンタンに特攻服と読み替え、「ヤンキー」ファッションと称したのは30数年後の日本の不良(パチューコ)たちだった。彼らは「ローライダー」よろしく「シャコタン」にした車に乗っていたっけ……
連鎖するのだね、文化は。