増谷英樹、富永智津子、清水透『21世紀歴史学の創造⑥ オルタナティヴの歴史学』(有志舎、2013)
3人の著者が薄めの著作ぐらいの長さの論文を書き、それにこのシリーズ(「21世紀歴史学の創造」)の主体だろうか? 研究会「戦後派第一世代の歴史研究者は21世紀に何をなすべきか」のメンバーと思われる人々による座談会が付された一巻。
第3部の執筆者・清水透さんからいただいたのだ。さっそく、彼の書いた:「砂漠を越えたマヤの民――揺らぐコロニアル・フロンティア」(pp.201-290)を。
リカルド・ポサスの古典的民族誌『フアン・ペレス・ホローテ』の翻訳とそこで語られていたマヤ先住民フアンの息子ロレンソへの聞き語りをまとめ、ふたつをひとつにして『コーラを聖なる水に変えた人々』(現代企画室、1984)として出したのが、ぼくが大学1年生だったころの清水先生だ。ぼくはその本を読み、サークルのガリ版刷りの機関誌に書評を書いた。そんな思い出話を、そういえば、最近、東京外国語大学出版会のPR誌『ピエリア』に書いたのだった。今回の論文(本人の呼び方にしたがって「作品」と言おう)は、その『コーラ』の続編とも呼ぶべきものだ。ロレンソの孫フアニートの話なのだから(フアニートの父、ロレンソの息子は早く死んだ)。
フアニートが、村の役職を不当と感じ、加えてある詐欺まがいの出資話で借金を背負い、仕方なしに、ポジェーロと呼ばれるブローカーを介してアメリカ合衆国に不法入国、ニューヨークのスタテン島で親戚を頼って仕事を得、家族に送金するという話だ。国境を越えてから行方がわからなくなったフアニートを探す話から始まり、行方を突き止めた後に何度か通って彼の話を聞き、そしてまた彼の義理の弟ロセンドや従兄弟の友人アグスティンら、三様の不法移民労働の話を聞き(ロセンドはアトランタ、アグスティンはタンパ、とそれぞれ働きに行った場所が異なる。そしてまた2人は、既に故郷に戻っている)、彼らの経験を再構成しつつ、その間のメキシコや合衆国の社会の変化を見直してもいる。
フアン・ペレス・ホローテや息子のロレンソの村は、メキシコ南部チアパス州のチャムーラというところだ。清水氏はそこにもう30年以上、毎年のように出かけて行ってはフィールドワークをしている。聞き取り調査を基礎にして、先住民村落から歴史を捉え返すという試みをしてきた人だ。『コーラ』の後には、プロテスタントの導入などによる村落の変化をたどった『エル・チチョンの怒り』(東京大学出版会、1988)などを出している。これがチャムーラの姿に関する『コーラ』の続編だったとするなら、今回の「砂漠を越えたマヤの民」は、ペレス家の一家の物語という意味での続編だ。ソノラ砂漠を越えて苦労して合衆国に職を見出すフアニートやロセンドの語りは、キャリー・ジョージ・フクナガ『闇の列車、光の旅』(アメリカ、メキシコ、2009)などの映画やホルヘ・フランコ『パライソ・トラベル』田村さと子訳(河出書房新社、2012)(国は違うけれども)らの物語を想起させる。巻末の討論で南塚信吾に「ノンフィクションの私小説」(348)と規定される語りの選択の妙味だ。
もちろん、こうした不法移民労働が問題になるのは、言うところのグローバリゼーションとの関係もある。実際、チアパス州は、『エル・チチョンの怒り』の少し後から、サパティスタの蜂起によって一気にグローバル化とそれに対抗する勢力のフロンティアとして前景化された場所だ。グローバル化をもたらした新自由主義経済は社会変化の大きな要因のひとつだ。「新自由主義による農業の破綻は、村人から出稼ぎ先を奪い、食料を奪い、生存維持をも危うくする深刻な事態をもたらした」(218)のだ。
植民地主義が先住民村落にもたらしたものは、カトリックの教会を基盤とする統治システムであり、植民地期には、支配される側の世界観に、うまい具合にもうひとつの権威としての王の存在を組み込んだ。独立によってその王が共和国大統領に取って代わったものの、基本的には同じ構造が維持される。1910年からのメキシコ革命でも変わらない。こうした植民地の遺制ともいいうる社会構造とそれがもたらす人々の意識が、「液状化」し、人の流動が激しくなったのが新自由主義以後の社会変化の結果なのだという。人々の共同体に対する認識が変わっていくのだ。
グローバル化がもたらす痛みや貧困、悲惨、新興勢力(ここでは、ポジェーロ)の成金化、などを描きつつ、しかし、変化する共同体に対するインタビュー対象の意識を捉え、「『五百年』にわたる植民地性から解放されつつある彼らには、自己再編の新たな道がようやく開かれはじめたといえるのである」(287)と結ぶ清水さんの希望には、確かに「オルタナティヴの歴史学」を模索する者の意気込みが感じられる。悲惨をもたらすグローバル化は、うまくすれば植民地主義からの解放かもしれない。