村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋、2013)
『朝日新聞』など発売日の午前0時にすぐに手に入れ、担当者が徹夜で読んで「超速レビュー」などを書いたと思ったら、2日後の今日の読書欄には、もう佐々木敦による書評を掲載していた。けっ、ここは三大紙で唯一『野生の探偵たち』の書評を掲載しなかったところだぜ、と恨み言のひとつも言いたくなるじゃないか。
ツイッター上でも読んだだの、途中だだの、よかっただの、失敗だだのと、みんながわれ先にと競って書いている。かく言うぼくも、書いている。やれやれ。
何かに似ているなあ? あ、そうだ、ボラーニョの『2666』だ。発売前だかその日のうちだかにアマゾンにレビューが出、みんながこぞって読んだぞ、いま第何部だぞ、などと書いていた、『2666』。
ぼくは先日、そういえば、鈴村和成さんを相手に、村上春樹とボラーニョを並べていろいろと話をしてきたのだった。成り行き上、この『多崎つくる』も読みたくなるじゃないか。ま、そうでなくても、読んでるのだけど。
主人公多崎つくるの友人・灰田文紹の父親が、学生運動に納得の行かないものを感じて大学を休み、放浪するという、『ノルウェイの森』の主人公のような人生を送ったというのだから、これは68年の世代の子供たちを扱ったもの。この世代って、とても窮屈な人間関係を築くと言われた世代だ。そしてそれを反映するかのような設定だ、今回の小説は。
赤松、青海、白根、黒埜と、それぞれ姓に色のつく友人たちと五角形のごとき均衡を保って常に行動を共にしてきた多崎つくるが、ひとりだけ東京の大学に進学して2年目(20歳になる直前だ)に突然、名古屋に残った他の4人から絶交を言い渡される。そのことで傷つき、死ぬことばかり考えていたつくるは、相貌まで変わり、しかし、どうにか危機を乗り越えた。そして念願だった鉄道会社で駅をつくる仕事を得、36歳になっている。そんな彼が結婚を意識したガールフレンドに示唆され、絶交の理由を探り始める、という話だ。
村上春樹は運命的で調和の取れた理想のカップルというのをつくり出してきた。それがある日、離れ離れになってしまうという話。『国境の南、太陽の西』のハジメと島本さんや、それこそ『1Q84』の青豆と天吾だ。今、そうした運命的な関係が2人から5人に増えたことは、一方で村上春樹の新たな転回のようにも見える。ましてやその関係が崩れた原因が探求されるのだ(『ノルウェイの森』では、直子はその原因を知らず、思い悩み、死んだ)。しかしまた一方で、こうした関係を築くのが5人であること、それがささいな理由で壊れることなどは、繰り返すが、登場人物たちの世代を反映しているようでもある。絶交の理由は繊細で難しい。単純にして複雑だ。運命的な関係、と言えば美しいけれども、この5人の友だち同士の関係は、やはり、世代特有の閉塞感を体現しているように思える。