VA『セブン・デイズ・イン・ハバナ』(フランス、スペイン、2012)
を昨日、観てきた。その後、飲みに行ったので、今日、記す次第。このところ秘密の仕事に関係した本などばかり読んでいるので、気分転換だ。
7人のシネアストが、それぞれ一本の短編を撮り、月曜日、火曜日、……というように割り振ったオムニバス映画。順にベニシオ・デル・トロ、パブロ・トラペーロ、フリオ・メデム、エリア・スレイマン、ガスパル・ノエ、フワン・カルロス・タビーオ、ローラン・カンテ。
スクリプト・コーディネーターをレオナルド・パドゥーラが務めている。脚本を直接書いたエピソードもあれば、スーパーバイズしたエピソードもあるということだろうか。そのおかげで、エピソード間の繋がりができている。水曜日の主役セシリア(メルビス・エステベス)が土曜日には一家の娘として現れる、という具合。あるいは月曜日に女装姿で出てきたゲイのラモンシート(アンドロス・ペルゴリーア)が、土曜日にも、今度はスッピンで出て、そこにあったカツラをかぶって鏡を見、「ベニシオ・デル・トロの撮影の時にもこんなカツラをつけたかった」(だったか、……うろ覚え)とつぶやいたりする。
フリオ・メデムが撮った水曜日「セシリアの誘惑」はシリロ・ビジャベルデ『セシリア・バルデス』を下敷きにしている、などというコンセプトも、パドゥーラがかかわっているからこそなのだろう。ちなみに、月曜と土曜に出てくるゲイのラモンシートを演じるペルゴリーアは、ホルヘ・ペルゴリーアの息子。ホルヘは『苺とチョコレート』のあのホルヘで、これが土曜日の中心人物のひとり。つまりここで親子が共演しているわけだ。
メデムの「セシリア」など、面白かった。『セシリア・バルデス』を下敷きにしたと銘打つに充分な官能性を備えたカメラ・ワークだった。が、その次の木曜日、エリア・スレイマン「初心者の日記」は、パンフレットのサラーム海上のコメントや、その他ウェブ上で目についたレビューなどを目にする限り、誤解されていような気がする。ぼくはこのエピソードを、とても興奮しながら見たのだった。
エリア・スレイマン本人が、ある人物にインタビューを申し込んだのだけど、演説が終わってからだと言われ、手持ちぶさたにまかせてハバナの街をあちこち見て回る、という話だ。何度かホテルの部屋に帰ってみるものの、演説は一向に終わらない。終わったかと思ったら、聴衆の求めに応じてまた話し始める。動物園は職員のみが行き来し、物言わぬ外国人観光客をうさんくさそうに眺めるだけ、ヘミングウェイの通った、フローズン・ダイキリ発祥の店ラ・フロリディータも、昼間なので何組かの観光客がいるばかり……街中にも演説の声は流れてくる……
これはつまり、ガルシア=マルケスがカストロを評した文章が下敷きになっているのだ。革命直後、朝から始まった演説が、仕事を終えるころになっても続いていて、ガルシア=マルケスたちは、そしてハバナのみんなも、仕事をしながら一日中カストロの演説を聴いていた、という話。映画内のTVに映るカストロは、革命直後の、若かりしころの彼ではない。その演説にしてもガルシア=マルケスの経験した最長記録の演説ではないだろう。が、それを彷彿とさせるカストロの演説、仕事をしながら、あるいはそれを放り出して聞き耳を立てるハバナの人々、それを物言わぬスレイマンが観察している、そんな話だ。
スレイマンがこのガルシア=マルケスのテクストを読んでいたかどうかは知らない。しかし、脚本のパドゥーラならば読んでいてもおかしくはないし、あるいは彼自身、同様の経験をしてきたはずだ。今ではもう聴けなくなったはずのカストロの雄弁、その間のハバナの街の様子を、この街をまったく知らない物言わぬ人物の目を通して描いて、実に感慨深いエピソードなのだ、木曜日は。