2012年8月23日木曜日

ミラグロスは常にそこにいた、あるいはアダプテーションの理論


そう。『パライソ・トラベル』シモン・ブランドの手によって映画化されている(2008)。脚本にはフランコ自身も携わっている。ぼくは以前、それを見ていたのだった。それを見返してみた。

細かい違いはいくらもある。マーロン(アルデマール・コレーア)とレイナ(アンヘリカ・ブランドン)が最初にたどり着いたのはクイーンズでなくブルックリンになっていたり、最後にマーロンがレイナを訪ねていく先がマイアミでなくアトランタだったり。レイナの母親が既にマーロンの知り合いだったというサプライズも小説にはない要素だ(さて、誰でしょう?)。小説の最後の1ページの心の流れをセリフにして、かつ、説明過剰な最後のプロットをつけ加えたことなどは、映画であることを考えれば、まああり得ることかとも思う。

ぼくとしては最も気になった差は、2人の人物の扱い。まずはマーロンが一時身を寄せる人物ロジャー・ペーナことロヘリオ・ペーニャ。この人物がスペイン語らしい名を捨ててロジャー・ペーナを名乗るにいたった経緯は映画では語られない。ホメロスやウェルギリウスを引用する教養豊かな背景は消え、そのかわり、cama(ベッド)やputa(娼婦)などの語の前でどもり、いかがわしい写真を撮ったりして、なかなか面白いキャラクターに仕上がっていた。共同プロデューサーでもあるジョン・レギサモ(レグイサモとして知られていると思う)が演じると、さらに面白い。万引きを働くシーンでは、つられてマーロンまでどもってみせるのだから、一場がコミカルに仕上がる。

そしてもうひとり、扱いの違う人物はミラグロス(アナ・デ・ラ・レゲーラ)。マーロンに好意を寄せ、彼の物語の聞き手となるこの人物は、小説では日曜日のコロンビア人たちのお祭りで出会うのだが、映画では〈祖国コロンビア〉の隣でCDを売っていて、最初からマーロンと面識を得るのだった。結末にかかわることもあるので、その他の違いは詳しくは言えないが、個人的にも探し求められるレイナよりもこっちの方が魅力的に感じた。ぼくならレイナのことなんか忘れて、ミラグロスと結ばれる。

あ、
  もちろん、
       個人の好みの問題ですが……

しかも、フィクションの人物というよりは女優に対する好みの問題……