2012年4月16日月曜日

ノエシスなんだかノエマなんだかノマドなんだか

いつごろからだろう、「ノート/手帳をうまく使って夢を叶える!」みたいな、仕事の仕方についての自己啓発本が増えたような気がする。NHKではナントカという、やはり会社員たちの仕事の仕方を考える番組みたいなのが現れた。

そのこと自体は悪いことだとは思わない。むしろ慶賀すべき。人間の意識には対象を志向するもの(ノエマ)とその対象を意識する意識に意味を与えるもの(ノエシス)がある。何の仕事をするかと同時にどのように仕事をするかは重要な課題だ。

が、その、どのようにという意識はいわゆる自意識と混同されてしまいかねないので困ったもの。どのように仕事をするかと自己演出(本人の用語では「セルフブランディング」)を焦るあまり、言わずもがなのよけいなひと言を言ってしまい、一部に不評を買ったある人物が、たまたまその自己演出のための浮ついた表現が流行の言葉と合致してしまったがために、TVなどが取り上げることになってしまい、周囲は色めき立った。

そんなわけで、さして興味もなかったが、釣られてぼくも、日曜の夜(というのは、ぼくの意識の中では、TVが一番つまらなくなる時間)なのにその人物を取り上げたドキュメンタリー番組などを見てしまった。

まあ、ちぐはぐなのは仕方がない。どのように仕事をするかしか主張しない人間のことを、結局、何の仕事をしているのかわからない、と形容し続けるのだから。これでは賛否両論だ。要するに、文章書いたり講演したり、自己啓発の講座をひらいたりしているが、その原稿書きの仕事を家でもオフィスでもなくカフェでやってます、というだけのことなのだけど(そしてそのわりに本の1冊も出していないから、何をやっているかが見えない、というだけのこと)。そしてそれだったら、新しいライフスタイルでもなんでもないのだけどな。ぼくなどもそれを強いられることがあるし、ぼくの同業者で言えばたとえば東大のN先生など、喫茶店でしか仕事をしない、との噂……

そうは言いながら、TVも少しはそれなりの長所を発揮するもの。言葉で明確に表現してはいなかったけれども、この番組が描いてみせたのは、ある一流大学を出て大手出版社に務め、順風満帆だった若い女性が鬱病を患って退社、生きていくために生活を切り詰め、しかしそれを過剰な自己肯定の言葉によって演出したら、その言葉がたまたま流行に乗って(彼女自身が作り出した流行言葉ではない)注目を集めて仕事も順調になってきた、そして同じような自意識に悩む人を導くことによって救いを得られ(自身の開設した講座の受講生の言葉に涙していた。カタルシスを得たのだ)、さらには、自分を鬱病に追い込んだ会社からの依頼を受け(それが「夢だった」と語った)て解放された、というストーリーだった。

こういうストーリーなんだ、と明確に言えば、下手に浮ついた言葉で新しいライフスタイルであるかのように、昔ながらのフリーライターの仕事を、本人の戦略に乗って無反省に紹介するよりも、救われる人はもっとたくさんいたと思う。仕事のしすぎで鬱病を患い、そこから立ち直るのに四苦八苦している人々はたくさんいるし、とても切実な問題なのだ。

もうひとつ、彼女が隠蔽しきれなかった要素を映し出したTVは、しかし、そこを掘り下げなかったために、結局、語るべき何かを語りきれていないとの印象を与えた。わずか3段ばかりの棚に収まる数しか本は持たない、と自慢げに彼女が示したその本棚に、ネグリ/ハートの『帝国』とハンティントンの『文明の衝突』とが並んでいた、たとえば、そうした本のラインナップをきちんと分析することで、彼女が自ら明かそうとしない志向性(ノエマ的意識?)に少しは踏み込んでいけたと思うのだけどな。何と言っても人はどんな生き方をしている人か、だけでなく、どんな人か、でも他者を判断するのだから。