サンティアーゴ・パハーレスのトークイベント「ぼくは小説『キャンバス』をどう書いたか」@ジュンク堂池袋店に行ってきた。
当初、翻訳者の木村榮一が聞き手となるはずだったのが、都合が悪くなり、急遽、内田兆史の登壇となった。このためにジャケットと靴を新調して、と本人は言っていた。
一般的な日本の印象から始まり、創作態度などまで話が及んだが、中心は、あくまでも『キャンバス』の話。発想は画家が自分の絵を盗んだらどうなるかという思いつきだったとのこと(ぼくはあくまでも、主人公フアンが美術品の盗難の多いことに気づく邦訳156ページではないかと思うのだが)。そしてまた絵画の件は口実であって、父と子の関係が小説の中心であることなどを語った。最初に大まかなプロットを書くこと。『キャンバス』の場合、30ページくらいであったこと、など。
『キャンバス』のストーリーの中心にあるのは、エルネスト・スロアガという画家の代表作『灰色の灰』という絵だが、この絵がどんな絵なのか、詳しくは描写されていないのだ。それはかなり意識的にそうしたのだ、との作家の言は収穫のひとつ。たとえば上に挙げた156ページの節の直後に、「フアンは絵画の窃盗をテーマにした、評判になった映画を観たが、……」という文章がある。ここに挙げられた「映画」。これのタイトルを教えろとぼくは質問してみたのだが、そんなものは具体的に考えていない、との答え。これもまた読者の想像を掻き立てるための省略なのだ、と。
意識的に描写の排除を行っている、との証言だ。この省略こそが重要なのだ。ボルヘスが提起し、カルヴィーノが固めた速さの要素。
余談だが、このトークイベントの前に彼は今回、すでにいろいろなところを回ったようだ。同行者を5、6人つれていた。たまたまその連中はぼくの隣に座っていたので、どういう間柄なのかと訊ねたら、子供の頃から一緒に遊んだ友だち、とのこと。なんだか楽しそうな旅行だ。使い捨てカイロを発見してすっかり気に入ったとか。
使い捨てカイロ。確かにこれは偉大なる発明、なのである。