2011年7月15日金曜日

だらだらと歯止めなく隠語を流す

九州電力が玄海原発の再開のために開いたケーブルTVでの説明会番組、これに寄せられる意見の中に、九電から指示を受けて社員が出したものがあったとのこと。これをしてネット上でのニュースが軒並み「やらせメール」と報じていた。昨日の夕方、夕食の準備をしながらTVのニュース番組を流していたら、やはり「やらせメール問題」と言っていた。

いいたいことは2つ:

「やらせ」とは、ぼくが知る限り、「過剰演出」のこと。ドキュメンタリー番組などで再現ドラマのように演じさせておきながら再現ドラマと名乗らないこと、のはず。会社からの指示で社員が自分の意見ではない意見のメールを送ることは、果たして「(過剰)演出」なのだろうか? もっと重大な何かを意味してはいないだろうか?

2点目:「やらせ」とはあくまでも放送関係者の使うジャーゴン、俗語であって、ニュースなどに無前提で使える単語なのか? 

気になった。チャンネルを回すと、NHKではさすがに「やらせ」という単語は使っていなかった。「メール問題」だった。他の民放局(たぶん、日本テレビ)では、「いわゆるやらせメール問題」と言っていた。まだ、かろうじて「やらせ」という単語が俗語だとの意識があるようだった。

何よりも情けないのは今朝の『朝日新聞』。見出しには「 」すらつけずに「やらせメール」と出ていた。本文ではまだしも「 」つきだったけれども。

ぼくには職業柄、アカデミック・ライティングのオブセッションがあり、俗語と思われるものを俗でない場所で使うことへの激しい反発がある。かりにもニュースにおいて自分たちの業界の裏のジャーゴンを使うことに対する自己規制のかからないメディアへの軽蔑の念がある。それをだらしなく広めてしまう他メディアへの憤りがある。(内側の事情と社会性とを区別できない幼児的なメディアや、その幼児の幼児性を認めるばかりか、迎合すらするメディアに何が期待できるというのか?)

何よりこの問題、「やらせ」つまり「過剰演出」というレベルのみではなく、上に述べたように、もっと重大な論点を含むように思うのだ。会社は従業員の思想信条に反する行動を強制しうるか、という問題。経済は倫理に先んじるべきか、という問題。「やらせ」なんていう俗語で表現しているようでは、こうした問題が隠蔽されるように思うのだ。「強制メール」、「無理強いメール」、「偽造投書」、「世論操作」、「思想統制命令」問題とでも呼んだらどうだろうか。

2011年7月14日木曜日

これでも夏を乗り切る。

また調子に乗って、今日も夏を乗り切るのに良さそうなもの。

キュウリのピリ辛和え。

と、キャベツのコールスロー。

ちょっと今、そろそろまた料理に意識的にならねばという時期なのだ。料理小説(?)の翻訳ゲラがやがて上がってくるというので

……なのか? 

2011年7月13日水曜日

夏を乗り切る

試験がひとつ終わった。

今日は会議のない日だったので、早めに帰ってガスパチョを作った。

トマトの冷製スープ。

これで夏を乗り切る。

2011年7月12日火曜日

感慨深い


これがごうごうの非難を浴びたのだが、でも、これを見ていると、音楽の解釈がよくわかるし、何より、カルペンティエール『春の祭典』における主人公ベラの思想が実によくわかるというものだ。

カルペンティエールの小説『春の祭典』は、もう10年ほど前に翻訳が出た。ぼくが3年ばかりもかけて訳したものだった。ぼくは特にバレエ好きというわけでもなかったので、ずいぶんとバレエについて学んだし、そこで言及されているバレエ作品なども観るようにしたことはした。でも、ニジンスキー版『春の祭典』というのは、ついぞ見ることはできずにいたのだった。もう訳も終えてから、『春の祭典』の告知を見たように思うが、ニジンスキー版ではなかったはずだし、終わったことだったので、実際にはそれは見に行かなかった。

カルペンティエール『春の祭典』では、主人公のベラは、このバレエ作品初演に参加したわけではないけど、モンテカルロ・バレエ・リュスに参加していて、初演の15年後くらいに新解釈による『春の祭典』に挑もうとして叶わなかったという経験を持つ。

やがて恋人のエンリケと共に、ヨーロッパの戦争を逃れてキューバに渡り、そこで黒人たちの高く垂直に飛ぶ踊りの可能性を見出し、これによって『春の祭典』の新大陸バージョンを考える。それもまた独裁制によって潰えてしまって……という話だ。

カルペンティエール『春の祭典』というと、革命万歳を主人公たちが叫んでしまう体制順応主義みたいな結論部分が非難されることが多く、なかなかベラの到達するストラビンスキー解釈の局面に目を向ける人が少ないように思う。みんなきっと、バレエを見ていないのだろうなと思う。

これを見て新たに解釈しなければ。

2011年7月11日月曜日

ラストスパート?

まったく、授業最終週の前の週で、試験問題を作ったりといろいろ忙しいはずなのに、木、金、土、日と連続で社交生活を送っているものだから手に負えない。

木曜日はスペイン大使館。東京国際ブックフェアのテーマ国であるスペインから、6人ばかり作家がやって来たので、その歓迎レセプションだ。なぜか招待状をいただいたので、行ってきた。やって来たのはカルメン・アルボルク、イサベル・コイシェ、フリオ・リャマサーレス、アルフレド・ゴメス・セルダ、サンティアーゴ・パハーレス、フェルナンド・サンチェス・ドラゴ。

リャマサーレスには数年前でゼミで邦訳された二作品を読んだこと、そのときの学生のひとりは卒論に彼の作品を取り上げたことを話した。日本語は読めないけれどもおみやげにくれよ、と言ってきたので、翌日、差し上げた。

翌日、金曜日はセルバンテス文化センター。6人の作家たちが次の日のブックフェアで何を話すのか、そのさわりを話した。コイシェは東京での映画撮影のこと、サンチェス・ドラゴは教師として日本にやって来てここがふるさとだと感じたこと、……等々。

やや遠方から友人が来ていたので、レセプションを途中で抜け出して、四ッ谷で食事。けっこう遅くまで呑んで、酔っ払った。

土曜日はブックフェア。朝も早くからの連続講演で、ぼくは午前中は用があったし、12時に始まるコイシェのセッションから参加。映画というのは撮影の体験をも含むものだというコイシェが、東京体験中に書き綴ったものを読み、対話相手の都甲幸治が映画の道具立てなどについて実にすばらしい質問をして、話が進んだ。

リャマサーレスはさすがに一番人気で、対話であるよりも前に表現であるという自らの文学を語った。最も印象に残ったのは、「声を持たない者に声を与えるために書く」という言明。これには次のカルメン・アルボルクも賛意を表明していた。アルボルクは『シングルという生き方』の翻訳があるが、翻訳者の細田晴子さんもマイクを向けられ、経緯を語った。パハーレスはリャマサーレス同様、翻訳者・木村榮一との対談形式。書くペースや書いていないときの作家のあり方、書くべきことは向こうからやって来るということなどについて語った。

卒業生が来ていたので、夕食を。また遅くなった。

日曜日は朝から東大で博士論文の審査。知人の審査の傍聴に行ったのだ。すばらしい論文だったようで、こういう論文の口頭試問というのはだいぶ手厳しい批判や質問が飛んだりするものなのだが、優れたできであることについては審査員全員が意見の一致を見ていたもよう。終わってからお祝いの食事会。

夕方は、さらに、ぼくは中学の同級生たちと集まって、以前紹介した土濵笑店に。とても親しくしていた年長の友人の娘さんのお店であることが発覚。

やれやれ、酒が抜けきれない。

2011年7月7日木曜日

まだまだ週の半ばの木曜日、きつい1日

大学院生でふたりほどベルナルド・アチャーガというバスク作家を扱う者がいる。そのうちひとりが『孤独な男』という、かつてETAのテロリストだった人物を扱った小説を読んでいる。そんなわけで、

ベルンハルト・シュリンク『週末』松永美穂訳(新潮社、2011)

に興味を覚えたら、ちょうどご恵贈をいただいたのだった。アチャーガの参考になるかどうかはともかく、しかも、アチャーガ以前に、読んでみた次第。

ドイツ赤軍のテロリストだったイェルクが恩赦を得て釈放され、姉のクリスティアーネのはからいで、大学時代の友人たちとともに郊外の別荘で週末を過ごす、という話。ジャーナリストで、イェルクに自分を警察に売った当事者ではないかと疑われているヘナー、かつてイェルクに憧れていた学校教師で、自殺したテロリスト、ヤンの小説を執筆しているイルゼ、歯科技工士で俗物である自分に屈折したルサンチマンをいだくウルリッヒとその妻、有名人と寝たいとイェルクに近づくその娘、牧師のカリン、弁護士のアンドレアス、クリスティアーネの同居人マルガレーテといった面々だ。

役者松永美穂は「密室劇」と呼んでいる。これがコメディだったらシットコムと言うのだろう、ある場所に複数の人が集まってきて、そこに人間関係が展開されるという話。上に挙げた仲間だけでなく、イェルクをまたテロリズムに復帰させようとするマルコや、建築を学ぶ学生ゲアトなどが、途中からなんらかの秘密を抱えて加わり、登場人物たちのやりとりはますます緊迫していく。

周囲の人々に問い詰められ、納得のいく答えをださないままのイェルクの秘密……というか、その態度の原因のようなものが少しずつ明かされ、最後には最大の秘密が、可能な限り最も大袈裟なしかたで明かされる。こうした作り方はうまいと思う。一方で、イェルクの取り得たかもしれないもうひとつの道を辿ったようなテロリストの小説を書くイルゼの存在が、典型的に「文学」的だ。

この表紙の写真は、デジタルカメラの普及でやたらとみんなが撮るようになった、絞り値を小さくして焦点以外の場所をぼかしたもの。68年の世代の者たちが郊外の別荘に閉じ込められる密室劇ではあっても、携帯電話にメールを駆使し、「キャラクター」作りに専念する少女の出てくるこの小説は、現在のものなのだぞ、と訴えているかのようだ。

……さ、そんなことより、授業に関係する本も読まなきゃ。

2011年7月5日火曜日

自分が怖い

若い二人組に取り囲まれというのは、基本的には恥ずかしい話だ。

直接に暴力がふるわれたわけではない。金銭のやりとりがあったわけでもない(示談、あるいは恐喝)。だからたいした問題でもない。時々、もめている人々を道路脇や駅で見かけるが、今日、ぼくがそんなことをしでかし、周囲から胡乱な目でみられたということだ。恥ずかしいだけだ。

でも、それをすぐ前に書かざるを得なかったのは、これまで経験したことのないある種の興奮をぼくが覚えていたからだ。書き終えて前腕部の張り(なぜかそんなものを感じていた)はなくなったし、興奮はだいぶおさまったように思う。でも、まだ収めきれない何かが、ぼくの裡にはある。

ぼくだって若いころ、スポーツくらいしたことはある。だから興奮がどんなものか知っている。高校生くらいまでのうちに何度か殴り合いの喧嘩もしたことがある。暴力への衝動がどういうものかもわかっている。それがもたらす恐怖もわかっている……はずだ。

でも、ぼくは今日、数時間前、今までのどの経験においても感じ得なかった何かを感じた。だいたい、面と向かって言い合いをするときには、どちらかといえば言葉が出てこないで苦労するタイプだが、今日は何かに支配されて二人組の若者に言葉の上でも対抗していた。あまり面と向かって人と目を合わせないタイプだけれども、正面からふたりを睨みつけていた。異様なまでに興奮し、かつ極めて冷静だった。金髪の運転手の腕の入れ墨がやけにカラフラだ、なんてことさえ考えていた。

ぼくはたぶん、そのとき、いわば極限状態にあったのだ。それまで自分がそんなものを裡に抱えているとも知らなかった何者かを解放したのだ。その何者かにみずから律されることを受け入れたのだ。これから先、二度とまた解放しようなどとは思わないその何者かを、大袈裟に名づけていたずらにスキャンダルを起こすつもりはないけれども、そんなものを発見した自分が驚きだ。これを飼い慣らしていかなければならいのかと思うと、心底つらくなる。

なんだか厄介な人間だと、自分でも思う。

……もうこのくらい書けば、いい加減、仕事に戻れるだろうか? 自分を取り戻せるだろうか?

自戒する夏

明日の準備ができていなくて、午前中、大学に寄った。その途中のこと。

東八道路を走っていた。試験場を過ぎたあたりだ。ぼくは追い越し車線を走っていた。走行車線を鼻ひとつ先んじてワゴン車が走っていた。きっと試験場の駐車場待ちをする車たちをかわそうとしたのだろう。ウインカーも出さずにこちらに割り込んできた。ひやりとしたぼくはクラクションを鳴らした。そして車内で右手をかざし、身振りも大げさに気をつけろ、というような仕草をした。

走行車線に戻ったワゴン車はぼくと並ぶと、大声で文句を言ってきた。最初、気づかなかったのだが、たいそう大声だった。気づいたぼくは、「ウインカーを出せ」というつもりで、左手でまばたきするジェスチャーをした。ワゴン車はぼくの後につき、煽りをかけてきた。

二枚橋の歩道橋下を右折、野川公園の横を走ったが、ついてくる。煽ってくる。アメリカンスクールの角から住宅街に入ったところで、助手席の男が降りてきて先回り、ぼくの行く手を阻んだ。

降りろ、だの、謝れ、だのと言っている。ぼくは瞬間、窓を開けて言いたいことを言って、閉じた。つまり、ウインカーも出さずに割り込んできては危ないじゃないか、それでクラクションを鳴らしたまでのことだ、その程度でここまで追い掛けてくるとは何ごとだ。

運転手も降りてきていた。金髪で腕に入れ墨をしている。

窓を閉めても彼らの言い分は聞こえてくる。いわく、ぼくが中指を突き立てる仕草をしたというのだ。車を脇に寄せて、降りてきて謝れ、と。

狭い住宅街の道だ、対向車が立ち往生している。迷惑だろう、とこちらが言っても、知るか! と相手は取り合わない。運転手は車の中からバイクのサドルのようなものを取りだしてきた。いっそのことそれで車に傷をつけてくれれば、出るところに出られるのだが、と考えたけれども、さすがにそれは口にしなかった。

やがて正面の白いワゴン車の中から出て来たあんちゃんは、この目の前の二人と知り合いではないみたいだっが、なぜかその二人をうまくなだめるようにして、ぼくの車に近づいてきた。「ともかく迷惑だから後に下がってそこで話し合いしろ」

ぼくは応えた:「やつらの車がすぐ後にあるので後退もできないのだが」

男はふたりに指図した。素直に従った運転手は車をバックさせた。助手席の男はあくまでもぼくを逃がすまいと、にらみをきかしながらぼくがバックするのについてきた。

だいぶ興奮していたけれども、同時に不思議と冷静だった。さて、観念するか、という思いと、でもこちらから手を出してはならない、という思いが交錯していた。

対向車やその他の車がぜんぶ捌けてから外に出た。

「なんだってんだ?」車を下りたぼくは、よせばいいのに、ふたりを睨みながら強気に出る。
「なんだじゃねえよ、謝れよ。中指突っ立てて死ねって言ったろ」
「死ねなんて言っていないし、中指も突き立てたつもりはない。そう見えたのなら謝るが。しかし君たちはウインカーも出さずに割り込んできて危なくぶつかるところだったんだぞ」

などとやりあっていたら、警官がやって来た。どうしました、と訊ねられたので、ぼくは自分の側からの説明をした。二人は不思議とおとなしく聞いていた。手を振り上げる仕草をした、というところで、こうやったろう、と反論したのみだ。「こう」というのは、中指を突き立てたということだ。どうやら、彼らの怒りの中心は、本当にそこにあるらしい。

「まあ誤解を与えたようだから、謝ったらどうですか」と警官。
「誤解を与えたことについては謝ってますよ……」
「ぜんぜん謝ってねえだろう!」助手席の男がぼくの横にあった電柱にパンチを入れる。
「このことと、それからもうひとりの運転手の彼が肩にバイクのサドルのようなものを抱えている、そのふたつの威嚇行為は、車の中で中指を突き立てる程度とは比べものにならない甚大なものがあるとおもいますが」などと言うものだから話が紛糾してしまう。ますます色めき立った助手席の男とぼくの間に警官が割って入ってとりなす。

それからさらに数分、やった/やってない、謝れ/謝ったのやりとりがあって、やっと事態は収拾した。

こんなことは初めてなのだが(これまでは、一度だけ、なぜか前を行っていた車がぼくに道を譲ったかと思うと、煽ってきたという事件があった。数年前の話だ)、ともかく、こうした事態を自分でうまく丸く収められないのだから、ぼくはつくづくと大人げないと思う。

そして同時に、授業のない日に大学などに行くものではないとも……

2011年7月4日月曜日

池のほとりで矛盾をつぶやく

東大駒場キャンパスには池がある。駒場池だ。通称を一二郎池という。

本郷にある池の正式名称は忘れたが、それの通称が三四郎池。漱石の『三四郎』で、大学に入りたての三四郎が美禰子を見初め、「矛盾だ」とつぶやいた場所だから、その通称がついた。

本郷は3、4年生の専門課程の学生が過ごすキャンパス。それに対して1、2年生の教養学部の学生が過ごす場所だから駒場の池は一二郎池。なのだろう。

ふふふ。

こんな光景が環状6号線・山手通りのすぐ外側にある。木陰で、今日は風もあったので涼しかった。そこにぼくはカラス三羽とともにしばし涼んだ。エアコンなど要らない。

でも、この場所に東大生なんてひとりもいなかった。何をしてるんだろう? 

授業を受けているに決まってる。冷房の効いた教室で。

矛盾だ。

2011年7月2日土曜日

新幹線では眠りこけるものだ

静岡に行ってきた。「ふじのくに せかい演劇祭2011」の一環だが、SPACで上演された『シモン・ボリバル、夢の断片(ソロ・ボリバル)』ウィリアム・オスピーナ作、オマール・ポラス演出・主演、古屋雄一郎翻訳・字幕製作。

独立200周年に作られ、上演されたオスピーナの『ボリバル』を当初上演するつもりだったらしい。ところが、例の地震と原発事故で出演者たちが来日を拒否し、場合によってはポラスのひとり芝居になるかもしれないという危機だったらしい。そんな劇をどう立て直すのだろうと俄然興味が沸いた。

座席数300ばかりの静岡県立芸術劇場のその客席をふさぎ、舞台の中に150くらい(かな?)の客席を作って小劇場の規模のスペースを作って見せた。小劇場全盛のころに演劇的教養形成をしたぼくとしては、むしろ馴染みのつくり。音楽も静岡入りしてから新たに作ったアレサントドロ・ラトッチのオジナル(最後に一曲だけショスタコーヴィチの『ジャズ組曲』の一部が使われていた)。もとはもっと賑やかな編成の音楽がついていたらしい。

ポラスは演出家としてまず概要を説明する人物となり、そしてボリバルになったかと思うと、彼の教養形成を語るためにシモン・ロドリゲスを演じて見せた。ここで活躍するのが、彼が得意とするコメディア・デッラルテふうの仮面。『ドン・キホーテ』で使うはずの仮面だったという。この仮面をかぶって少し老人ふうの演技をするポラスの芸達者は光った。

男女ふたりずつのSPACの役者を聞き手に語り聞かせる形式で話を進めて、ミランダ将軍との確執、妻マヌエリータの悲しみなどを描いてうまくまとめた。

満員の盛況だった。