テオドラ・アナ・ミハイ監督『母の聖戦』アルセリア・ラミーレス他、ベルギー、ルーマニア、メキシコ、2021
21年のカンヌで「ある視点」部門勇気賞を受賞した作品。そのニュースは覚えているのだが、La civil という原題が『母の聖戦』に変わっていては同一のものとはわからなかった。
夫と別居中のシエロ(ラミーレス)が、恋人とデートに行くと家を出た娘ラウラ(デッセ・アスピルクエカ)を誘拐され、身代金を払っても戻ってこないし、警察や軍は取り合ってくれないしで、自力で捜査するという物語。
独自捜査が誘拐犯に知られてしまい、脅迫目的で家が襲撃を受ける。それを機に軍が新任のラマルケ中尉(ホルヘ・A・ヒメネス)の指揮下、シエロと特殊な協力関係を結んで誘拐犯の捜査が始まる。つまり、軍人を味方につけてはいるものの、あくまでも対比的に彼女は民間人女性(la civil)なわけだ。
相手はナルコであり、身代金目的の誘拐もしている組織だが、警察のモルグでは追いつかない死体の置き場にされているために自身脅迫を受けている葬儀屋を手がかりに、思いがけない協力者を見つけたりしながら捜査が進む。捜査の過程で軍は犯罪グループの一味やその協力者に容赦なく暴力を振るう。民間人女性であるシエロもその国家の暴力装置とある種の関係を結ぶことになる。それはもはや聖戦を名乗るにふさわしい美しいものではないだろう。母の子を思う美しい気持ちの単なる正当化にならないところがいい。
砂埃、語られないせりふ、せりふ同様に何かを見せづらくする焦点外のもののボケさせかたなどが効果的。首を切られた死体が上記の葬儀場に運ばれたことを知って娘ではないかと確認におもむいたシエロが目をやるガイコツの整理番号に2666の数字が見られた。こんなところにボラーニョへの目くばせが! Resto(残り/遺品・遺体)の二重の意味による当局の事務仕事と被害者家族との対照的な感情の際立たせ方など細かいところで幾度か唸る。
ところで、監督も、それからパンフレットでの紹介文もラミーレスを『赤い薔薇ソースの伝説』以来注目されたとみなしているようだが、その前に出たカルロス・カレーラ『ベンハミンの妻』はやはりそれほど広くは知られていないということなのだろうか? 残念。
これ以前にも、年が明けてから何度か映画館に足を運んでいるのだが、ここで報告を怠っている。ナショナル・シアター・ライヴの『レオポルトシュタット』などもいろいろと考えさせられたのだが、それについはまたの機会に。
写真はイメージ。