2021年12月10日金曜日

愛する人あるいはMother, Father and Child

ロドリゴ・ガルシア『父ガルシア=マルケスの思い出――さようなら、ガボとメルセデス』旦敬介訳(中央公論新社、2021)



僕はこのスペイン語版Rodrigo García, Gabo y Mercedes: Una despedida, Traducción de Marta Mesa (Random House, 2021)を手に入れて書き出しの2,3ページを読んでいたのだが、そこから先に読み進む前に邦訳が出た。しかも僕はてっきりこのスペイン語版が原版だと思っていたら、英語が原典だそうだ。訳者あとがきを見て改めて見返しみたら、確かに、スペイン語版にはMarta Mesaの翻訳だと書いてある。英語原版もスペイン語版も、そして日本語版も2021年刊。


ガブリエル・ガルシア=マルケスの長男ロドリゴ・ガルシアはアメリカ合衆国に住み英語で映画を撮る映画作家だ。さすがに映画作家らしくⅤ章32節からなるその父と母の死の記録はVつのシークエンスと32のカットと言いたくなる長さと切り取り方だ。Iでは入院し、もう先行きが短いことを告げられたガボを家に引き取り、静かに死なせる覚悟をする話、IIはそうやって引き取った自宅でガボが死ぬまでの話。IIIは火葬までの話。IVが弔問客たちのことやBellas Artesでのお別れの会など、残された者がいかに死者を弔うのかの話。Vではガボの6年後、2020年のメルセデスの死の話。


ガボの認知症のことや彼の仕事のことなど、子供ならではのいろいろなエピソードが語られる。『百年の孤独』のエピソードそのもののような話も出来する。ロドリゴ自身が父の語りをまねるように、「彼ら(ガボとメルセデス:引用者注)の結婚式の日、今のこの瞬間からは五十七年と二十八日前になるが、時刻としてはちょうど同じころ」(69)などと書いたパッセージにも出くわす。その父の息子というよりは、既に映画作家として優れたキャリアを積んだ者ならではのストーリーテリングだ。ロドリゴの語りだから、ロドリゴの映画らしく、父と母への気遣いというか、眼差しが胸を打つ。


けれども、何よりも今の僕にとって響くのは、延命治療をせず、自宅に引き取る決意をするガボの家族の決断だ。メルセデスと同年で、まだ生きているものの、先日も入院して、一時は生命の危機が危ぶまれた母を持っているので、つまり、身につまされるのだ。僕の気苦労はその親が有名人であるがゆえにその対処にも気を遣うロドリゴのそれには及ばないものの、彼が相談したという医師のせりふは僕にもつらい。「何があっても絶対に病院にもどさないことだ。病院生活は、君ら全員をうちのめすことになる」(17-8)。このせりふに、むしろうちのめされる。



ブログのタイトルは、もちろん、ロドリゴの作品からのもじり。