既訳がふたつ存在する小説の翻訳をしている。たまにはそれらとの違いを比べたりする。こんな箇所の訳をどうしているか比べてみる。
“…un poso seco, que no por su escasa hondura era menos lóbrego…”
(あまり深くないからといって暗くじめじめしていないわけではない涸れ井戸)
既訳A:あまり深くはないが真っ暗な涸れ井戸
既訳B:あまり深くないので、さほど暗くはなかった涸れ井戸
? AとBでは意味がまったく違っている。明らかにBは意味を取り違えている。
そういえばこの “no por” の用法の取り違えは何度か目にしたことがあるぞ。一度など、ぼくがこの形式を使って書いたスペイン語を訂正してきた人物もいたぞ。
辞書を引いてみた。『西和中辞典』には特に何も書いていない。『スペイン語大辞典』には “por” の項目の最後20番にこうある。
[no+. 譲歩]……しなくても: No 〜 mucho hablar te vas a ganar su confianza. 多くを語らなくても君は彼の信頼を得ることになるだろう. No 〜 correr ahora, recuperarás el tiempo perdido. 今急いで走らなくても失った時間は取り戻せるよ
! つまり僕の理解とは逆の意味が書いてあるのだ! 僕の理解では「……しても○○ない」であり、例文のそれぞれの意味は「たくさんしゃべったからといって君が彼の信頼を得るわけではない」「今さら走っても失われた時間は取り戻せるわけではない」だ。これは困った。どっちが正しいんだろう? 僕の長年の理解はひょっとして間違っていたのかな? 同じ白水社の『現代スペイン語辞典』にはこの用法の説明はない。
1番目の例文は Diccionario Salamanca の例文そのままだが、サラマンカには「譲歩の意味がある」と書かれているだけでその譲歩のあり方、細かいニュアンスは説明されていない。残念。
アカデミアの辞書を見れば明解だ。”Por” の項目の26番。
Precedida de no o seguida de un adjetivo o un adverbio y de que, tiene valor concesivo. No por mucho pintarte estarás más guapa. Por atrevido que sea no lo hará.
Noが先行し、または形容詞か副詞+que を従えて、譲歩の意味を持つ。うんと化粧したからってきれいになるわけじゃないさ。彼がいかに大胆不敵でも、さすがにそれはすまい。
Por … que…, no の例と並べているのが決定的だ。やはり “no por” は「たとえ……しても~ではない」の意味の譲歩なのだ。以下の有名なことわざの構文だものな。
No por madrugar mucho amanece más temprano. (とても早起きしたからといってそれだけ早く朝が来るわけではない)
果報は寝て待て、ということかな?
『スペイン語大辞典』は訂正した方がいいと思うな。
……しかし、それにしてもこの使い方の例文は、どれも絶望をもたらすものだな。『スペイン語大辞典』のようにポジティヴに理解したくなる気持ちはわからないでもない。が、だからといって…… No por ello…
TVを繋がないことにしたので、これまでだったらTVを見ていたかもしれない局面でYouTubeでこの間亡くなった小三治の若き日の「明けがらす」を小さいモニターで鑑賞しながらの夕食。捨ててみれば、実際、こうした時でも必ずしも見たいものを見ていたとは限らないのだ。 No por ver la tele quiero hacerlo.