2021年4月1日木曜日

エイブリルフール、みたいな話

履歴書を書かなければならなくなり、いただいた学位のそれぞれの発行元の当時の正式名称(大学院は幾度か名称が変わっている)と学位の名称を調べたいと思い、学位記を開いてみた。


僕は3つ学位を持っている。文学士、文学修士、博士(文学)。いずれも東京外国語大学には違いないのだが、それぞれ外国語学部、大学院外国語学研究科修士課程、大学院地域文化研究科博士後期課程からもらっている。博士の学位は乙類、つまり論文博士なので学んでいたころの名称と違いがないかなど、特に気になったのだ。


さて、学位記を開いてみた。外語の場合、大きい証書で筒に丸めて入れてあるので取り出しが面倒だ。でもともかく、開いてみた。


博士の学位記には小さな「学位証明書」という紙までいっしょに巻き付けてあった。まったく記憶にない。見てみた。瞬間、憤死しそうになった。


氏名に誤字があったのだ!!!!!


驚いて学位記を見直したら、そこには誤字はなかったので、少しホッとした。でもともかく、これは許しがたいことだ。


僕はよく名前の字を間違えられるし、そのたびに寿命が3年ばかりも縮むくらいに怒っている。こんな単純で頻出の漢字を間違えるということが僕には信じられないのだ。例えば「渡邊」の「邊」の字のように複雑で類似のものがいくつもあるのなら、まだ同情の余地がある。が、「孝」「敦」のような文字、そりゃあ、同じ読みで違う文字はいくつもあるにしても、すべてが頻出かつ単純、簡単に弁別可能なパラダイムであるこの並びで、いったいどうすれば間違いようがあるのか? いや、もちろん、間違うことはあろうが、かりにも公式の文書(なんどもチェックや校閲を経ているはずの)に記載ミスが生じるなど、いったいどれだけの手抜き仕事をしているのだ、と思うのだ。(ちなみに、今回の誤記は「敦」の字が「淳」に代えられていたというもの。水もしたたるいい男だと思ったからさんずいにしたのだろうな、と思うことにしよう)


ましてやそれは母校であり、仮にも教師としても9年半も勤めた機関で起こったのだ!


まあ、17年(もらったのは2004年3月だ)経って気づく僕もどうかと思うのだが……


で、ともかく、大学院係に電話したのだ。正式の記録は学位記のものであり、大学のサイトの学位授与者一覧に記載ミスがないのであれば、ミスはないのだという。そのときの証明書の発行係のミスであると。しかるに、誤字のままでは収まりが悪いというのであれば、新たに学位証明書を申請してもらうことになる、と。ただし、当初の日づけのものを再発行するわけではない、と。


さて、どうしたものか……




昨日の昼に1/4を食べたトルティーヤ(・エスパニョーラ)。残りを今日食べようと思ったのだが、今日見たら、もう残っていなかった。どうしたことだ!? 考えられる答えはひとつしかない。無意識に僕が食べたのだ。昨日のうちに。今回は比較的できがよかったものな。