マルセロ・ビルマヘール『見知らぬ友』オーガ フミヒロ絵、宇野和美訳(福音館、2021)
絵本仕立てで版元が福音館とくれば児童文学と予想されるかもしれないが、児童文学というよりはいささかターゲットが年上とみるべきだろう。YAという程度だろうか。短めの短篇十篇からなる作品集だ。
黒い守護天使(?)のことを簡潔に書いた「見知らぬ友」、床屋談義で聞いたサムソンとデリラのエピソード「世界一強い男」、観賞魚を仲立ちとした初恋の話「ヴェネツィア」、友人ラファエルが語る両親の神秘「立ち入り禁止」、神のごとき理不尽さの父の振るまい「黒い石」、文章を盗まれた話「地球のかたわれ」、タイトルどおりの「失われたラブレター」、サッカー選手との邂逅の思い出の「ムコンボ」、隣に乗り合わせた少年を語った「飛行機の旅」、そして一枚の写真をめぐってユダヤ人移民たちの記憶が見えそうで見えない「クラス一の美女」。
短めのものはショートショート(あるいは掌編)というよりはブエノスアイレスのユダヤ人コミュニティのスケッチのような趣を持ち、長めの「失われたラブレター」「飛行機の旅」「クラス一の美女」は児童文学、YAなどと分類するまでもない立派な短篇小説で読み応えがある。
映画『僕と未来とブエノスアイレス』(ダニエル・ブルマン監督、2004)の脚本家でもある。あれもユダヤ人コミュニティを描いたものだが、その点でも興味深い作家だ。
ちなみに僕が一番気に入ったのは「ヴェネツィア」。
その好き嫌いを左右した要素ではないが、ここには実に興味深い翻訳上の試みがある。観賞魚店の店主から「どれでも好きな魚を持っていっていいぞ」と言われた語り手兼主人公の「ぼく」は応えるのだ。「だいじょうぶ」(37, 8)と。
この「だいじょうぶ」はもちろん、「要らない」の意味だ。原書をもっていないので、どんな表現なのかは知らないが。面白い。僕はこの語を使えそうにない。参った。
でも、考えてみたら、たとえば、 “Está bien” など、こうした場でのこういう意味での「だいじょうぶ」に使えそうだ。案外、この「だいじょうぶ」は普遍的な表現なのかもしれない、と蒙を啓かれた気分。
NHKテキストの連載は最終回にフェルナンド・ソラナス『ラテンアメリカ光と影の詩』を選んだのだ。