今回もバスケスの話。
ヘンリー・ヒッチングズ編『この星の忘れられない本屋の話』浅尾敦則訳(ポプラ社、2017)にはフアン・ガブリエル・バスケス「ふたつの本屋の物語」(69-82ページ)という文章が載っている。バスケスはここで、ボゴタのふたつの書店のことを書いている。ラーナー書店とセントラル書店だ。
ラーナー書店は大型店で、作家になりたいとの思いを抱えてそこに通っていた「ノスタルジアをかきたててくれる店」として紹介される。「自分の出発点となった思い出の本屋」。法学部の学生でありながら、やはり自分の天職は文学であるとの自覚を得、いつか敬愛する作家マリオ・バルガス=リョサの隣に自分の本が並ぶことを夢見ていた、そういう場所。
セントラル書店はハンスとリリーのウンガー夫妻が経営する、父の代からツケで本を買っていた馴染みの本屋。彼はこれを実名で『密告者』に登場させた。「一九九五年の補遺」という第五章に相当する章だ。「ふたつの本屋の物語」ではその部分が引用されている。自己引用。こんな部分だ。
本が出版されると、書店まで来てほしいというリリーからのメッセージが留守番電話に入っていた。他人行儀の、有無を言わせぬ調子の声で、たぶんサラ・グーターマンのことだろうと、私は思った。少なくとも、彼女から話を聞けずに終わってしまった、コロンビアの政治家がひた隠しにする反ユダヤ主義に関することにちがいない。なにしろハンス・ウンガーは、コロンビアにやってくるユダヤ人をできるだけ少なくするためにロペス・デ・メサが実施した禁止令の、最も直接的な被害者のひとりだったのだ(そのことは誰もが知っていた)。彼はインタビューだけではなく、常日頃から、彼の両親がドイツの強制収容所で亡くなったのは、彼自身が取得したようなコロンビアのビザが両親に発行されなかったせいだと公言していたのだ。ビザを取得したハンスが故国オーストリアからコロンビアに到着したのは一九三八年のことである。そういうわけで、約束の時間に赴くと、ハンスとリリーが私を待っていた。ふたりの横にはボゴタのドイツ人がよく待ち合わせ場所に利用している、がっしりとしたグレーのテーブルがあった。ふたりはこのテーブルと、ダイヤル式の電話、そしてタイプライター――レミントン・ランド製の、巨大スタジアムの模型のように大きくてずっしりしたやつ――を使って、本屋を営んでいた。メインの陳列キャビネットには、私の本が三冊飾ってあった。リリーはバーガンディ色のタートルネックのセーターといういでたちで、ハンスのほうはというと、ネクタイを締めて、スーツ・ジャケットの下にアーガイルのセーターを着込んでいた。(77)
これは英語に訳されて編まれたエッセイの中での引用。訳者の浅尾敦則が英語から訳した、言わば重訳だ。現在、日本語に訳されている『密告者』の当該箇所(411-412)と比較してみると、スペイン語や英語が読めずとも、翻訳というのがいかに人によって異なるのかが分かるのではあるまいか。『密告者』の服部綾乃・石川隆介訳は、独自に改行を設け、間接話法はほとんど用いず、引用符も分かりやすくつけることによって意識や発話と叙述とを書き分けて、実に懇切丁寧な訳だ。そのことの善し悪しは問わないが。ともかく、そんなわけで、この引用と比べると違いは鮮明だ。繰り返すが、善し悪しの問題ではなく、その差がとても興味深くはある。
さて、バスケスが『密告者』出版後はじめてセントラル書店を訪ねたところ、「リリー・ウンガーから、国を愛する気持になんら変わりはないと、文句を言われてしまった」のだそうだ。今ではハンスはコロンビア政府を非難してはいないのだと。「それに、実在の人物を何の許可も得ないでフィクションの中に登場させて、勝手なことを喋らせてもらっては困る、とも言われた」。そして極めつけは、こう言われたのだそうだ。「それにね、ハンスはアーガイルのセーターなんて、一度も着たことがないのよ」(78)と。
この話を先週土曜日の授業でするつもりだった僕は、アーガイルのセーターを着ていったのだが、なぜアーガイルを着ないことにこだわるのか、と大変活発に議論がなされたのだった。こうした細部へのこだわりというのは、意外に大切なことなのだ。