一昨日のエントリーでは写真に映った3冊のうち橋爪大三郎の著書のみを話題にした。が、その奥にはアマルティア・セン『アマルティア・セン講義 グローバリゼーションと人間の安全保障』加藤幹雄訳(ちくま学芸文庫、2017)などがあったのだった。
橋爪のアドバイスを受け入れ、センの著作を読む際、傍線を定規で引いてみた。
うーむ。果たして手書きより早く引けたかどうかは、不明。しかし、手書きよりはるかに美しく引けたことは間違いない。僕の読書の痕跡としては比類なく整然としている。
そしてまた、定規を栞の代わりに本に挟んで持ち歩くというのもひとつの手なのかもしれないとも思う。
『グローバリゼーションと人間の安全保障』はセンが来日して行った石橋記念講演の記録(第一・二章 「グローバリゼーション」「人間の安全保障」)と、それを機に東大からの第一号の名誉博士号を受賞したときの講演(第三章 「文明は衝突するのか?」)、それにセン自身が選定した独立論文(第四章 「東洋と西洋」)から成る。
グローバリゼーションを歴史上恒常的に見られてきた統合への動きとして捉えるところなどは、アルフォンソ・レイェスの「ポリスのアテナ」と並べて論じたくなるし、数学の概念の伝達と変化を叙述した箇所などは翻訳論の文脈にも入れてみたい。センの教養と洞察が光るところ。
「人間の安全保障」という概念が小渕恵三の提唱したものであることなどは、日本での講演であるという性質から来るものだろうが、それにしても、すてきなことを知らしめてくれるじゃないか。小渕は「人間は生存を脅かされたり尊厳を冒されることなく創造的な生活を営むべき存在であると信じ」、「人間の安全保障」という概念を提示したそうだ。
人間の尊厳など、友だちでない者のそれなら冒し放題な小渕の後輩(つまり、現首相のことだが)に聞かせてやりたいじゃないか。
そして、もっと、もっと切実に聞かせてやりたいのが、次の断定。
どれも今の日本でないがしろにされているものばかりじゃないか。
そして、もっと、もっと切実に聞かせてやりたいのが、次の断定。
経済発展の要素の一部とみなされる基本的自由を拡大するには、さまざまな制度とそのような諸制度による保護とが必要です。民主主義的な経済運営、市民の権利、基本的人権、自由で開放されたメディア、基本的教育と健康管理を提供する施設、経済的セーフティ・ネット、そしてこれまでおろそかにされてきて最近ようやく注意が払われるようになった女性の自由と権利を保護する諸制度などが必要なのです。(57)
どれも今の日本でないがしろにされているものばかりじゃないか。