2017年5月21日日曜日

「勉強とは、自己破壊である」とギャル男風哲学者は言った

こんな催し(リンク)をやるから現代文芸論の学生にも告知してくれと頼まれ、快諾し、ついでに、僕も読んで、行けるようだったら行く、と言った手前、読んだのだった。

千葉雅也『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋、2017)

一応、大学生向けに本当に勉強の仕方を説く体裁ではあるものの、巻末の「補論」にドゥルーズ/ガタリの「器官なき身体」論やマゾッホ論などの、いかにもドゥルージアン的前提を披露して手の内を明かしている。これは、逆に言うと、ワンステップ上の上級者学生に向けての示唆ということだろうか。

けれども、この本の最大のインパクトは「勉強とは、自己破壊である」という冒頭のテーゼによって言語を媒介として自己を、環境を解放する知的マゾヒストの快感を伝えているところだろうか。さらにはアイロニーとユーモアをツッコミとボケという、すっかり一般化したお笑い芸用語でたとえ、アイロニーからユーモアへの折り返しを推奨する。それを中断、有限化によってしめる論法はオーソドックスなようでいて、他のいくつかのテーゼがいちいち刺激的に響くのだから面白い。「難しい本を読むのが難しいのは、無理に納得しようと思って読むからである」とか、「アイデアを出すために書く。アイデアができてから書くのではない」とか。

ノートのとり方や本の読み方、「ある概念や考え方が「誰のどの文献によれば」なのかを意識し、すぐ言えるように心がけてください」などのプラクティカルな指南を含むのだが、なんだか画期的に見えるから不思議だ。

一緒に買ったのは、

松崎久純『大学生のための速読法――読むことのつらさから解放される』(慶應義塾大学出版会、2017)

こうしたものを買ってみるのも、ひとえに学生にむけて論文や本の読み方、書き方などをどう伝えればいいか、との思いからだ。

「プレビュー」「オーバービュー」「スキミング1」「同2」「スピードリーディング」「レビュー」の6段階で本の内容を把握する仕方を説く本ではあるが、こうした「速読」の指南書がことごとく速読できちゃうのはなぜだろう? 答えは、この本の中に書いてある。いや、すべての読書指南書の中に書いてある。それはまた勉強法の本にも書いてある。問題はそれを「スキミング1、2」と呼ぶか、「スキャニングとスキミング」と呼ぶか、「α読みとβ読み」と呼ぶかの違いだ(少しずつずれているけど)。


僕としては、読書の(学術的)指南書は

アドラー&ドーレン『本を読む本』外山滋比古、槇未知子訳(講談社学術文庫、1997)

にとどめを刺すかな、と思うのだが。どうだろう?