もう何十年になるだろうか? 腕時計を捨て、懐中時計をするようになった。手首が蒸れるのがいやだったからだ。これが第何代の懐中時計になるのかは、もう忘れてしまった。ともかく、懐中時計を使っているのだ。これをジーンズやチノパンのウォッチポケットに忍ばせている。
しかるに、鎖を衣服の端などにかけるフックの、その爪の部分がいつの間にか取れて、なくなってしまったのだ。昨日の朝、気づいた次第。
物は持ち主が浮気心をもった瞬間に、拗ねて壊れてしまう。ひょっとしたら、電波式のやつが欲しいなと思ったのがばれてしまったのかもしれない。
さて、その昨日は、僕は無関係だけれども、同僚たちが持っている「ロシア東欧の映画」という授業にパリ第3大学(ソルボンヌ・ヌーヴェル)のクリスティアン・フェイゲルソン先生を招き、メドヴェトキンとクリス・マルケルについての話(『幸福』や『最後のボルシェヴィキ』の一部を観ながら)を伺うというので、行ってきた。初期の『シベリアからの手紙』は英語字幕版がなかったので、これも一部だけ観た。
終わって近所で食事。
ところで、こんなこと、やります。
小野正嗣さんは『物が落ちる音』を英訳か仏訳で読んで面白いと言っていた方なので、お話を伺うのが楽しみなのだ。