2015年10月14日水曜日

教え子を妻とするについて

ミシェル・ウエルベック『服従』大塚桃訳(河出書房新社、2015)

シャルリ・エブドの襲撃の日に発売だったことで話題になったウエルベックの新作。それがなぜ話題になるかというと、フランスが2020年、イスラーム勢力に政権の座を奪われるという近未来が描かれているからだ。主人公はパリ大学で文学を講じるユイスマンス研究家。同僚の夫で公安のような仕事をしていた人物の薦めに従い、大統領選挙直後、大学が閉鎖されたのを機にしばらく田舎に逃避していた。戻ってみると、パリ大学はアラブ資本の手に落ち、イスラム教徒ではない彼は職を解かれる。ただし、プレイヤード叢書のユイスマンス全集の仕事のオファーを受けたのを機に大学への復職を持ちかけられる、……という内容。

フランスがイスラム圏になるという内容がショッキングなのであり、そのことについては色々と語られるだろうから、ここは、ちょっと目先を変えて:

主人公兼語り手のフランソワは、既に述べたように大学教員だ。その彼にはミリアムという恋人がいた。学生だ。後半で、イスラム社会になったパリで大学教員に復帰したかつての仲間のなかには60くらいになって結婚したという人物がいた。イスラム的価値観を叩き込まれた若い女性だ。学生だ。

どうも大学教員が主人公の小説(や映画)には教え子との恋、もしくは教え子との関係が語られるものが多い。ウディ・アレンの何かの映画でも大学の創作家で教える人物(アレン本人)が教え子と関係を持っていた。この間訳し終えたフアン・ガブリエル・バスケスの『物が落ちる音』でも主人公兼語り手の法学部教師が教え子と関係を持ち、結婚した。クッツェーの『恥辱』は教え子と関係したことから身を持ち崩す主人公が痛々しい。

うーむ。俺はかれこれ20年近く大学教師をしているが、教え子との関係、うーむ、あんまりないなあ。聞かないなあ。ついこの間までほとんど女子大みたいな大学に勤め、同僚から「ハーレム」などとセクハラまがいの形容をされてはきたが、こうしたことにはことさら気を使ったつもりだし、何より、子供ほどの年齢だと思えば、そんなに教え子の女子学生に心惑わされることもなかったし、大人の女性との恋にむしろ夢中だったし……うーむ……

なんちゃって。

カトリックに帰依したユイスマンスの研究をしながらイスラムに帰依する気になる主人公の心境の変化の叙述が繊細だ。ここがいい加減だと鼻白むところだろう。でも、読み終えてからパラパラと前の方を捲ったら、既にこんな心境の吐露があった。

「(略)ぽくは多分、いいかげんなマッチョなんだ。実際のところ、女性が投票できるとか、男性と同じ学問をし、同じ職業に就くことがそれほどいい考えだと心から思ったことはない。今はみんな慣れっこになってるけど、本当のところ、それっていい考えなのかな」(35)

たぶん、これがミソ。

ツイッターの書き込みで誰かが、「村上春樹が村上龍のような小説を書いた感じ」というようなことを書いていた。大統領になるモハメド・ベン・アッベスについての情報がほとんど同僚の夫アラン・タヌールからのみ会話によってもたらされるという技法は、なるほど、村上春樹だ。