2015年5月5日火曜日

野球ファンになることは映画ファンになることに似ている……? 

引用するかもしれないと思い、久々に後藤雄介『語学の西北――スペイン語の窓から眺めた南米・日本文化模様』(現代書館、2009)を開いた。お目当てのページではない項目にも目をやってみた。たとえば「さらば、GIGANTES――「ポストコロニアル」日本プロ野球」(GIGANTESには「ヒガンテス」のルビあり)219-230ページ。

サッカーとのアナロジーで野球が合衆国(後藤は「米国」と表記)の帝国主義的拡張に伴って広がったスポーツであること、日本の野球機構が長年ジャイアンツ中心の帝国主義的構造だったことなどをあげ、その植民地主義的状況からいかに抜け出るかという話を展開している。後藤は長いことジャイアンツ・ファンで(存じておりますとも!)、その後、千葉ロッテ・マリーンズのファンに転身した。その経緯を個人的、かつ「ポストコロニアル」理論的に説明したもの。ジャイアンツ・ファンであることの後ろめたさを糊塗するために、わざわざジャイアンツでなくGIGANTESと書いているわけだ。

後藤の父親はアンチ・ジャイアンツという名のジャイアンツ・ファンで、僕らにとっては馴染みの、ジャイアンツ戦しかテレビ観戦できない時代に育ったことを回顧するものの、やはり時代から言って、ジャイアンツが長嶋引退・監督就任後の初年度、最下位に転落したころからしか記憶していないことを確認する。そして、自分にとっては弱いチームだったジャイアンツが、翌年、優勝する年のある試合をテレビ観戦していて、中継が終わったのでラジオに場を変えて試合を追うことになった彼が味わったのが、末次の満塁さよならホームランの熱狂だったという。この時に彼はジャイアンツ・ファンになったのだと述懐するのだ。

そのことを後ろめたいと思っていながらも、後藤はファンであることをやめられないでいたのだが、今度はジョニーこと黒木知宏の力投(しかし、報われなかった)を見て、自然とジャイアンツの呪縛から解放され、マリーンズのファンになったのだというのだ。

なかなか面白い。後藤さん自身がここで言語化していない要素のひとつは、彼が末次や黒木に対して、あるいは彼らのプレーに熱狂する観客の反応に対して感じた恍惚こそが、どこかのチームのファンになることのきっかけとなるのだという事実ではないだろうか。野球(でもサッカーでも他のどのスポーツでもいいのだが)ファンになることは、映画ファンになることと似ている。そこに暴力やら帝国主義の縮図やらがあるはずなのに、観客は陶然として見入らざるを得ない。今自分が目にしているのが危険な構図を孕むものだとの自覚を持っていないと、僕らの手懐けがたい心は容易に帝国主義やら植民地主義やらを内面化しようとする方向に傾く。

ところで、後藤さんがまだ後ろめたさを残しながらもジャイアンツ・ファンを公言してはばからなかった頃、僕は所沢西武ライオンズを応援する立場だった。上京してぶらぶらしていた僕が、当時まだあった後楽園球場に2週連続で試合を見に行ったことがあった。1週めはジャイアンツvs大洋ホエールズ(現・DeNAベイスターズ)。2週めがニッポンハムファイターズvs.西武ライオンズ。1週目の観戦で、野球ってこんなものかと高を括っていた僕は、2週め、目が覚める思いをした。ライオンズの選手たちの動きがあまりにもすばらしく、素早く、魅力的だったのだ。ライオンズが福岡から所沢に移って5年目くらいだろうか、最初のリーグ優勝をした次の年だ。石毛が出塁してすぐさま盗塁、2番はそのときは辻だっただろうか、その彼のヒットであっという間に先制点をあげた、電光石火の攻撃がみごとだった。ひとりひとりの足が速く、パワーがあり、技巧が勝っていた。なぜジャイアンツなどを応援する人が多数派なのだろうと不思議でならなかった。


……これもひとつの恍惚の経験だったのだ。たぶん、試合場にじかに足を運んでいれば、最初からジャイアンツ・ファンになんかならなかったんじゃないかな、後藤さん。僕はそう思うよ。