2015年5月6日水曜日

ホルヘの幸運不運の1日

先日報告した「ラテン! ラテン! ラテン!」のフェスティヴァルで、比嘉セツさんと星野智幸さんとのトークショウを拝聴。シャッター商店街でトルタ屋を営む青年からは始まる「呪文」の話も出た。トルタだ。これは是非読むべきではないか、と思った。話の中心はその直前に上映された『スリーピング・ボイス』のこと。この国に忍び寄る(いや、もう覆っているか)ファシズムの影を実感させる映画であることなど。

そして、その後のスニーク・プレビューで観た、まだ邦題の決まっていない作品。 Federico Veiroj, La vida útil (ウルグワイ、スペイン、2010)

フィルムライブラリー(ウルグワイではcinematecaと。メキシコではcineteca、スペインではfilmotecaだ)がそれを運営する財団から見放され、閉鎖することが決まり、25年間勤めていたホルヘが路頭に迷う話。

国立であるはずのフィルムライブラリーが、民間の財団によって運営されていて、しかもそれが収益率が悪いというので閉鎖されるというのは、いわばグローバル化というか、新自由主義的経済政策の害悪を告発する映画なのだろうとは思う。とは思うのだが、そうした悲愴、かつ問題告発的なものでは決してなく、実におかしい。解雇後のホルヘが、まっすぐ家に帰ることをやめて放浪する決意をしてからの造りが、とてつもなく

ヘン

なのだ。


終わって会場が高笑いに包まれた。そうした映画。いったい何がヘンなのかは、言わないでおこう。実は前半の鬱勃とした雰囲気の中で発されるあるセリフに関係していて、ますます面白い。63分の中篇というほどの映画。まるでセサル・アイラの小説のようだ。K's cinemaで公開予定とのこと。観ない手はない。